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北都交通株式会社(ほくとこうつう)は、北海道札幌市に本社を置きハイヤー事業やバス事業を営む企業。札幌市内から新千歳空港および丘珠空港への空港連絡バス、道内各都市への高速バスの運行などを行う。 == 歴史 == === 北都タクシー設立 === 戦後、各種統制が徐々に解除される中でバス事業やタクシー事業においても新規会社が設立された。発起人を始めとした会社設立を目指す有志は1949年(昭和24年)12月24日に一般貸切旅客自動車運送事業の免許を申請。翌1950年(昭和25年)4月19日付で免許が下り、同年7月3日に資本金500万円で株式会社北都タクシーを設立登記、同月12日に営業運転を開始した。申請台数は7台であったが、実際に走ることができたのは電気自動車4台とフォードの中古ガソリン車1台の5台であった。本社および車庫は札幌駅北側に置かれたが、ガソリンは統制未解除により入手が難しく、電気自動車の充電スタンドは薄野にあるため営業開始前に出向かねばならず、1度の充電に何時間もかかり40 km程度しか走行できないため、極めて非能率的な状態での営業であった。なお、同年12月1日に商号を北都ハイヤー株式会社に改称している〔『40年史』 p. 22〕〔『40年史』 p. 25〕。 1951年(昭和26年)になり、燃料事情好転の兆しが見えていたことから2月6日付で1台増車の認可を受け、非効率であった電気自動車を廃して新たに国産自動車「オータ号」に切り替えた。当時は札幌駅や苗穂駅での駅待ち体制が一般的であり、大雪などで市電がストップする中でも運行できたため、ここに来てようやく一般に認知されるようになっていった。なお、同年6月1日に新たな道路運送法が公布され、従来の一般貸切旅客自動車運送事業は乗車定員11名以上の大型車が対象となり、10名以下のハイヤー・タクシーは一般乗用旅客自動車運送事業に分離された。これにより一般乗用旅客自動車運送事業の免許に変更、同年7月1日から施行された〔『40年史』 pp. 25 - 28〕。 しかし経営基盤は盤石ではなく、現金収入は毎日あるものの月末の集計では常に赤字を計上するような状態であった。加えて、取締役の一人が以前勤務していた会社での問題が発端となり、乗っ取り工作を仕掛けられるなど紛争に巻き込まれた。防戦の結果同年末までに解決をみたものの、倒産寸前の状態まで追い込まれた。1952年(昭和27年)に役員を降格させ新体制で再出発。同年11月に資本金を倍増させ、同年12月には薄野地区の南4条西6丁目に営業所を設置し飲食店利用者をターゲットとするなどの営業活動を行った結果、同年末までに債務の解消を果たした。その後も朝鮮特需などによりハイヤー需要は上向きとなり、1953年(昭和28年)後半には台数15台、従業員数25人程度に成長した〔『40年史』 pp. 28 - 31〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北都交通 (北海道)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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