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慰安所(いあんじょ)とは、本来苦役に従事する人たちの為の福利厚生の為に設置された、飲食、娯楽、遊興などで慰安を供する為の施設(慰安施設)のことである。従って、食堂やカフェや酒場等の飲食施設、遊戯設備(ゲーム器)等を備えた施設、舞台や音楽鑑賞やダンスの出来る施設などがあり、軍慰問団は軍用慰安施設のホールや部隊などを利用して将兵の慰問を行った〔アジア女性基金「慰安婦関連歴史資料」「慰安婦関係資料集成」pp.19-45〕。 軍慰安所・軍隊慰安所ともいい〔」アジア女性基金〕、一般には軍隊や政府組織が軍人や軍属のために設置あるいは指定した売春宿のことを指す。 。日本軍政が制度化した軍公認の軍利用・軍専用売春宿の呼称が「特殊慰安所(慰安所)」である〔アジア女性基金「慰安婦関連歴史資料」「慰安婦関係資料集成3」pp.19-410「慰安婦関係資料集成2」pp.8-348〕。フランスの軍用売春宿計画は「キャンディボックス(la boîte à bonbons)」などと婉曲表現された〔:en:Brothel#Military brothelsから抄訳〕。韓国で設置された国連軍・米軍のための軍用売春宿は「基地村(Camp Town 기지촌 Kijichon)」と呼ばれた〔李娜榮 日本軍「慰安婦」と米軍基地村の「洋公主」 立命館言語文化研究 23(2), 209-228, 2011-10-00〕。また、ベトナム戦争時、韓国軍が韓国兵専用としてサイゴンに設立した慰安所は「トルコ風呂(The Turkish Bath)」と呼ばれた〔米公文書が暴いたベトナムの「韓国軍慰安所」 週刊文春 2015.03.25 18:00〕。 == 軍隊慰安所の前史 == 国家による管理売春を公娼制度という。公娼制は古代ギリシアやローマ帝国にもすでに存在した〔山田宏「売春」世界大百科事典、平凡社、2007,p333〕。十字軍遠征では「売春婦部隊〔山手茂「売春」日本大百科全書、小学館、1987〕。」・「従軍売春婦」〔が従軍した。 古代中国にも妓女制度などが存在し〔齋藤茂「妓女と中国文人」(東方選書、2000年)p13〕、また被征服者の女性が強制連行され性奴隷になるケースも多く、金王朝に破れた北宋の美女は洗衣院という場所に収容された。 また朝鮮にも妓生制度があり歌舞のほか性的奉仕も担った〔梨花女子大学韓国女性史編纂委員会『韓国女性史』1,梨大出版部、1978年。p519-520〕。妓生は国境守備将兵の慰安婦としても活用され、国境の六ヶ所の「鎮」や、女真族の出没する白頭山付近の四ヶ所の邑に派遣され、将兵の裁縫や酒食の相手や夜伽をし、士気を鼓舞した〔川村湊『妓生』作品社、2001年、p.40-43〕。また妓生は中国に貢女(コンニョ)つまり貢ぎ物として「輸出」された〔。高麗時代には宋の使いやまた明や清の外交官に対しても供与された〔。これは日本人(倭人)に対しても行われ、1507年の『権発日記』には倭の「野人」にも美しい妓生を供進したと記録されている〔。朝鮮の外交における使臣への女色の供応は友好外交のための「安価な代価(生け贄)にほかならなかった」といわれる〔。 16世紀にはスペイン軍がオランダ侵攻した際に売春婦が1200人随行したとされ、またドイツで1598年に刊行された軍事教科書では随行売春婦の役割について論じられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「慰安所」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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