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犢橋村(こてはしむら)は、かつて千葉県千葉郡に存在した村である。旧村の名をそのまま村名としているため、千葉市花見川区の地名として現存している。 == 歴史 == === 沿革 === * 南北朝時代 - 花嶋の地名が見られる。 * 室町時代 - コテハシの地名が見られる。 * 江戸時代 - 以下の8村が成立。宇那谷村は印旛郡。幕府領の設置は天明年間の印旛沼掘割工事によるもの。 * 犢橋村 - 幕府・旗本小栗氏の相給、与力給知→幕府・旗本吉田氏・小栗氏の相給、与力給知、神照寺除地。 * 花島村 - 旗本遠山氏領→幕府・旗本遠山氏の相給。 * 柏井村 - 旗本上杉氏領→幕府・旗本上杉氏の相給。 * 北柏井村 - 旗本小栗氏領→幕府・旗本小栗氏の相給。 * 横戸村 - 小金原の一部。旗本石尾氏領→幕府・旗本石尾氏の相給。 * 長沼新田 - 幕府領。 * 小深新田(こぶけしんでん) - 幕府領。 * 宇那谷村 - 旗本石河氏領→佐倉藩領。 * 1868年(明治元年) * 北柏井村が柏井村に編入。 * 8月8日 - 宇那谷村を除く7村が下総知県事の管轄となる。 * 1869年(明治2年)1月13日 - 下総知県事が葛飾県となる。 * 1871年(明治4年) * 7月14日 - 佐倉藩が佐倉県となり、宇那谷村が佐倉県の管轄となる。 * 11月13日 - 葛飾県、佐倉県が印旛県に統合。8村が印旛県の管轄となる。 * 1873年(明治6年)6月15日 - 印旛県が木更津県に統合して千葉県が発足。8村が千葉県の管轄となる。 * 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、千葉郡犢橋村、花島村、柏井村、横戸村、長沼新田、小深新田、印旛郡宇那谷村および千葉郡六方野原が合併して発足。長沼新田、小深新田が大字長沼、小深となったほか、13の行政区が発足。村役場は長沼区字屋敷に置かれる。 * 1951年(昭和26年) - 小深、長沼の各一部を千葉市源町に編入。 * 1952年(昭和27年) - 旧陸軍下志津演習場の一部より大字山王が、同演習場のうち通称六方野の一部より大字六方が、三角原の一部より大字三角、千種、長沼原が起立。 * 1954年(昭和29年) * 1月 - 大字六方の一部が印旛郡千代田町に編入。大字鹿放ヶ丘(ろっぽうがおか)となる。 * 7月1日 - 千葉市に編入。同日犢橋村廃止。犢橋市民センターを設置。 * 1992年(平成4年)4月1日 - 千葉市が政令指定都市に移行し、旧村域が花見川区、稲毛区となる。花見川区域は現在でも犢橋市民センターが管轄する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「犢橋村」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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