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犬上 御田鍬(いぬがみ の みたすき、生没年不詳)は、飛鳥時代にあたる7世紀前半・日本の人物。姓は君。三田耜とも書かれる。最後の遣隋使および最初の遣唐使を務めた、大和朝廷の中級官吏・外交官の一人。冠位は大仁。 == 概説 == 犬上氏(犬上君)は日本武尊の子・稲依別王の後裔とされる〔『日本書紀』景行天皇51年8月4日条、『古事記』景行条〕近江国犬上郡〔現在の滋賀県犬上郡および彦根市とその周辺地域にあたる。〕発祥の豪族である。御田鍬は建部倉宇志の子で、子に白麻呂がいたとする系図がある〔鈴木真年『百家系図稿』巻4,建部(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会,1986年(昭和62年) による)〕。 614年7月24日(推古天皇22年6月13日)最終となる遣隋使として犬上君御田鍬は矢田部造(名不明)とともに隋に渡った〔『日本書紀』推古天皇22年6月己卯(13日)条。書紀には行き帰りとも目的地が「大唐」とあるが、時期的に隋である。以下、特に注記しない事実は『日本書紀』の当該年月条による。〕。翌推古天皇23年(615年)9月に百済使を伴って帰国した。 舒明天皇2年(630年)に、犬上君三田耜は薬師恵日とともに唐に遣わされた。このとき二人は大仁の冠位であった。唐は高表仁に三田耜を送らせ、8月に対馬に着いた。学問僧霊雲・僧旻、勝鳥養、新羅の送使も行をともにした。高表仁は10月4日に難波津に着き、翌年1月26日に帰国したが、この間の三田耜らの動向は明らかではない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「犬上御田鍬」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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