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犬飼 俊久(いぬかい としひさ 1944年1月7日〔『'98プロ野球12球団全選手百科名鑑』P208掲載のアナウンサー名簿より参照。〕〔『月刊ドラゴンズ』2012年5月号P17掲載『ワンちゃんのマイク余話』第1回より参照。〕 - )は、日本のアナウンサー、実業家。愛知県名古屋市瑞穂区生まれ〔。 == 来歴・人物 == 東海高等学校卒業〔。1967年(昭和42年)に中央大学を卒業〔卒業時期については、愛知学生会館(財団法人愛知県育英会)ウェブサイト内OBの声 を参照(昭和42年卒と明記。リンク先の内容は、東放企業在職当時)。〕後、東海ラジオ放送へ入社〔第63期(2006年4月1日 ‐ 2007年3月31日)有価証券報告書〕〔。主にプロ野球の中日ドラゴンズ戦(『ガッツナイター』)などスポーツ中継を担当し、1974年・1982年・1988年のセントラル・リーグ優勝や1994年(平成6年)の「10.8決戦」など多くの名試合の実況を担当してきた。また、東海地方の有名企業のトップ・財界人にインタビューする番組を担当していた。 2004年12月に報道制作局長兼放送技術局長(役員待遇)となった〔後、2005年6月に取締役報道制作局長〔となりアナウンサーとしての一線から退くも、スペシャルウィーク(聴取率調査週間)時の『ガッツナイター』には特別に実況を担当することもあった。2007年1月取締役東京支社長(同年6月より常務取締役東京支社長)に転出する〔〔人事 - 週刊中国新聞経済メールマガジン(2006年11月24日 - 同30日付中国新聞掲載分) より、【2006年11月28日(火) 東海ラジオ放送(07年1月1日)】の部分を参照。〕とともにアナウンサー職を離れた。2009年に本社へ戻り、常務として番組審議会に出席していたが、同年6月に取締役を退任し、子会社東放企業(尾張温泉などを運営する会社)の社長を務めた。 2009年9月30日の中日対巨人戦(ナゴヤドーム。この日は2009年のナゴヤドームでのレギュラーシーズン最終戦となった)の試合終了後に行われた立浪和義の選手引退セレモニーで司会を務めた(司会を務めることは公には発表されていなかった)。 2011年7月にはフリーアナウンサーとして、RADIO SANQの高校野球(全国高等学校野球選手権愛知大会)中継で数年ぶりのスポーツ実況を元同僚の亀関開とともに担当〔参考:長久手2回一挙5点/初戦コールド勝ち - Daily SANQ(RADIO SANQ公式ブログ)2011年7月10日更新分より。〕 2014年7月14日の中日対阪神戦(ナゴヤドーム)で、東海ラジオの実況を8年ぶりに担当。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「犬飼俊久」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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