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狙撃砲(そげきほう)とは、大日本帝国陸軍が第一次世界大戦後に開発した口径37mmの歩兵砲。直射による機関銃陣地撲滅を目的として開発された。 == 概要 == 本砲のような機関銃陣地撲滅用の軽量火砲は第一次世界大戦時に出現した。塹壕戦において攻撃の障害となる機関銃陣地を排除するための軽量軽便な直射兵器の必要性を痛感した各国はその開発に乗り出し、ロシアの37mmトレンチガンM1915やフランスのM1916 37mm歩兵砲(製造工場の所在地から「ピュトー砲」とも)等が使用された。日本でも塹壕戦の実情を鑑み、これらに倣って口径37mmの軽量火砲の開発を開始した。大正5年(1916年)6月28日付の陸秘第178号によって陸軍技術本部に対し「機関銃破壊砲」の名称で審査が命じられた。砲の設計方針としては砲身・揺架・小架及び大架からなる砲身後座式で着脱式の防盾を有することとし、以下の諸元を備えることとした〔「試製機関銃破壊砲製造並授受の件」6~7頁。〕。 *口径は37mm。 *初速は550m/秒。 *砲車全備重量は150kg。 *砲弾は破甲弾で砲弾重量は0.7kg。 *炸薬は黄色薬もしくは茶褐薬。 *信管は弾底信管。 *着脱式の車輪を有し、輓曳もしくは分解して担行する。 大正6年(1917年)10月13日に大阪砲兵工廠に対して砲1門・砲弾300発・薬莢100個・弾底信管200個の試作が下附された。また同月16日付の陸普第346号をもって本砲の名称を「狙撃砲」に改めることが通達された〔「試製機関銃破壊砲改称の件」。〕。大正7年(1918年)3月には大阪砲兵工廠に対し砲12門・砲弾等各10,000発・携帯鞍工具100個の製造が通達された〔「試製機関銃破壊砲外4点製造授受の件」。〕。更に4月~5月に掛けて同工廠に砲車70門・砲弾等70,000発・弾薬箱4,010箱の製造が通達されるなど本格的な製造が開始された〔「軽迫撃砲弾薬外壱點製造授受の件」。〕。大正8年~9年(1919年~20年)の冬にはロシア黒龍州「ボチカレオ」において歩兵第66連隊による冬季試験が実施され、寒冷地における運搬・射程・弾道性・弾丸効力・各部機能抗堪等の評価を行った。試験では十数日に渡る討伐行動では輓馬の疲労が激しく、また2尺5寸~3尺(約75~90cm)以上の積雪では人力牽引は困難であり分解搬送せざるを得ないとされた。射程はやや低下し、また砲弾は極寒時でも良く作動するものの砲の撃発機構が潤滑油の凍結等で不調をきたすことが確認された〔「冬季試験実施報告提出の件」11~24頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「狙撃砲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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