|
狛 則康(こま の のりやす 保安3年(1122年) - 没年不詳)は、平安時代後期の貴族、舞人。官位は左兵衛少尉。狛光時の子。 == 人物 == 幼少の頃に源則遠に養子入りし、仁和寺覚性法親王に童として出仕した。康治2年(1143年)に左兵衛少尉に任じられ鳥羽院に仕える武士に昇格し、同年のうちに狛姓に復する。久安6年(1150年)、29歳の時に宴席(狛光近邸)で狼藉(光近を殴ったとされる)を働き、それがきっかけで出家した。この時に隠棲地を中川寺周辺に定め、法名を寂禅とした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「狛則康」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|