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狩勝信号場(かりかちしんごうじょう)は、かつて北海道空知郡南富良野町落合に存在した、日本国有鉄道根室本線の信号場である。1951年からは仮乗降場を併設して旅客扱いも行っていたが、1966年に勾配の緩やかな新線ルートの開通に伴い廃止された。 ==概要== 1907年(明治40年)、後に根室本線の母体となった釧路線の落合-帯広間開業に伴い、前後を25パーミルの長距離勾配区間(特に新内駅側からはほぼその全区間が25パーミルの勾配)で挟まれた狩勝峠に、蒸気機関車への給水給炭施設として開設された。当時は「信号所」といった形態の種別がなかったため、旅客貨物取扱い等の一般営業を行わない「停車場(駅)」とされていたが、実態は信号所と同じであった〔北海道鉄道百年史 上巻のように最初から信号所と断定して書かれている書籍もある。正式には1921年(大正10年)10月14日付け通達の鉄道省令第2号国有鉄道建設規定により(実施は翌大正11年4月1日から)改めて「停車場」や「信号場」、「信号所」が定義されたのを受け、信号場となった。〕。1922年(大正11年)から正式に信号場となった。旅客取扱いは戦後の1951年(昭和26年)から開始されたが〔当時の全国時刻表では索引地図にのみ仮乗降場を示す「(仮)狩勝」と書かれていた。また駅舎(本屋)には「狩勝峠」という看板が掲げられていた。〕〔優等列車以外の普通旅客列車は全て停車した。〕、昭和初期の資料では、既に単式ホームが備えられていた〔昭和3年版 線路一覧略図 札幌鉄道局発行。〕。新内方面の本線は構内からすぐに狩勝トンネルが接しており、新線ルート(新狩勝トンネル)への切り替えの理由の一つとなった戦後の労働争議の舞台となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「狩勝信号場」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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