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狩野 元俊(かのう げんしゅん、天正16年(1588年) - 寛文12年7月11日(1672年9月2日))は、江戸時代初期から前期にかけて活躍した狩野派の絵師。江戸幕府御用絵師の一つ表絵師・山下狩野家などの祖。通称は隼人、諱は秀信、元俊と号す。 == 略伝 == 狩野元信の次男・狩野秀頼の曾孫。乗真秀頼-真笑秀政-了承秀之-元俊秀信と続く絵師の家系である。ただし、父・了承の確実な遺作は現在確認されていない。6歳で母・妙安と死に別れる。慶長年間頃に徳川家康にお目見えし、元俊の代から江戸幕府に仕え始める。元俊が祖となる山下狩野家は、表絵師筆頭の駿河台狩野家に次ぐ地位を得た。1623年(元和9年)狩野宗家の狩野貞信臨終の際に作成した、狩野安信宗家相続の起請文では、狩野長信、狩野探幽、狩野甚之丞、狩野尚信、狩野新右衛門(貞信妹婿)と一族の末席ながら名を連ねており(永俊の下には狩野興以のみ)、狩野一門の重鎮の1人だったことが窺える。 その後も幕府の御用をこなしていくが、『扶桑画人伝』の元俊の項目収録の『画事備考』の記述によると、一時画業を廃し神職についたという。また、元俊の代表作本圀寺の大幅「涅槃図」にある銘記には、亡き母を慕い孝心を満たすために母の五十回忌に合わせて制作した事が記されている。寛文12年(1672年)85歳で没した。法名は常教院後日承居士。墓所は墨田区横川にある本法寺だが、本法寺は火災や戦災で過去帳を喪失し、元俊の墓も残っていない。 現在確認されている元俊の遺品は、日蓮宗の寺院に多く残り、宗教的画題に偏重している。これは山下狩野家の家職とも、元俊の宗教心を反映しているとも取れるが、元俊に関する史料は断片的で判別しがたい。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「狩野元俊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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