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独立準備委員会(どくりつじゅんびいいんかい)は、大日本帝国軍政時代にインドネシアに設置された、インドネシア独立の準備のために政体、領域その他の諸問題をインドネシア人委員が審議、議案採択する機関で、先に設立され成功裏に完了した独立準備調査会の成果を受け継ぎ、独立宣言草案、憲法草案等を採択し実施に移すものである〔アフマッド・スバルジョ著、奥源造編訳 (1973)『インドネシアの独立と革命』192頁。〕。なお終戦期にインドネシア側は独自の裁量で委員を追加しており、インドネシア人独自の機関とも言える側面を持つ。 == 概要 == 独立準備委員会は、委員長をスカルノ、副委員長をハッタとし、他に19名の委員、合計21名(ジャワから12名、スマトラから3名、スラウェシから2名、ボルネオ(カリマンタン)から1名、小スンダから1名、マルク(モルッカ)から1名、華僑代表1名)からなる委員会である〔アフマッド・スバルジョ著、奥源造編訳 (1973)『インドネシアの独立と革命』192頁。〕〔終戦期にインドネシア側独自の裁量で6名追加され、合計27名となったとされる(:id:Panitia Persiapan Kemerdekaan Indonesia)。〕。委員は8月初頭〔アフマッド・スバルジョ著、奥源造編訳 (1973)『インドネシアの独立と革命』119頁によれば、1945年8月11日任命である。同年8月7日任命であったとする資料もある(:id:Panitia Persiapan Kemerdekaan Indonesia)。〕に任命されており、その委員長であるスカルノと副委員長のハッタは同年8月11日にサイゴン郊外のダラットにおいて寺内寿一大将より8月中のインドネシア独立許与の日本政府の意思の伝達を受けた。当初8月18日に第1回正式会合が行われる予定であったが8月15日に終戦を迎えたため、インドネシア人委員達は、8月17日〔終戦による独立頓挫を恐れ、即時の独立のためには武力衝突も辞さない急進派青年グループによるスカルノ及びハッタの拉致事件(レンガス・デンクロック事件)等事態の急転に鑑み、インドネシア人委員達は8月16日深夜に前田精日本海軍少将邸宅に集まり、独立宣言文案の確認と承認を行った。アフマッド・スバルジョ著、奥源造編訳 (1973)『インドネシアの独立と革命』146頁。〕に独立宣言した後、8月18日に総会を開き、先に起草されていた憲法序文草案と、憲法本文草案を審議し、一部を修正して採択し、即日布告、施行した〔アフマッド・スバルジョ著、奥源造編訳 (1973)『インドネシアの独立と革命』193頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「独立準備委員会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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