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『独考』(ひとりかんがえ、)は、江戸時代後期の女流文学者只野真葛による経世論。文化14年(1817年)成立。真葛と当時の読本の大家曲亭馬琴とのあいだに交流が生まれる契機となった著作である。 == 『独考』の執筆 == 『赤蝦夷風説考』の著者として知られる仙台藩江戸詰の藩医工藤平助の長女であったあや子は、実家工藤家のため仙台の只野家へ嫁したが、父と2人の弟を亡くしたあと失意の日々を送っていた。しかし、2つの和歌を導きとして「さらば心にこめしこと共を書きしるさばや」と思い立ち、文化12年(1815年)より『独考』を書きはじめる。文化14年12月1日(西暦1818年1月7日)に3巻の書に完成させた。『独考』末尾には、「文化十四年十二月一日五十五歳にて記す あや子事真葛」の署名がある。 翌文政元年12月には『独考』にみずから序を書いている。序は、 から書きはじめており、この書が、謙虚でへりくだった文体では書かれておらず、言い過ぎているところが多いことを率直に認め、その理由として、出過ぎることなく謙譲の姿勢を示すのは、この世に生きる人の都合によるものだと説明する。つづけて、自分が35歳を生涯の終わりと決めてみちのく仙台の地に下ったのは、これが死出の道との覚悟あってのことなのだから、自分の心情のわからない他人から、どのような謗りを受けようと痛くもかゆくもない。また、この書を憎み誹謗する人は恐るるに足りない。わが国の人びとが、自己の利益のみに生き、異国の脅威に思いを寄せることもなく、国の浪費についても無関心で、自身のためにのみ金に狂って争っているさまが、自分には嘆かわしいのであって、そのために、自分が人に憎まれるのはもとより承知のことであり、これをわきまえて心して読んでほしいと綴り〔門(1998)p.185〕〔関(2008)p.192-193〕、本書を執筆する意図を宣言している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「独考」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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