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狭霧 : ミニ英和和英辞書
狭霧[さぎり]
【名詞】 1. mist 2. fog
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狭霧 : [さぎり]
 【名詞】 1. mist 2. fog
: [きり]
 【名詞】1. fog 2. mist
狭霧 ( リダイレクト:狭霧 (駆逐艦) ) : ウィキペディア日本語版
狭霧 (駆逐艦)[さぎり]


狭霧(さぎり)は、大日本帝国海軍駆逐艦#達昭和3年11月p.49『達第百七十二號 艦艇製造費ヲ以テ昭和三年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦一隻ニ左ノ通命名ス 昭和三年十一月二十三日 海軍大臣岡田啓介 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 狭霧 サギリ』〕〔#ポケット海軍年鑑(1937)p.48『一等驅逐艦"狭霧 さぎり" 要目略}特型驅逐艦はわが海軍驅逐艦の中堅主要部隊である。わが驅逐艦名のゆかしさは世界に比類のない、外國の追随を許さぬ詩的なものであるが、"吹雪"より始る特型驅逐艦は"吹雪 ふぶき" "初雪 はつゆき" "白雪 しらゆき" 雪級3隻(深雪が除籍された) 雲級4隻 "浦波 うらなみ" "磯波 いそなみ" "綾波 あやなみ" "敷波 しきなみ" 波級4隻 "天霧 あまぎり" "朝霧 あさぎり" "夕霧 ゆうぎり" 霧級4隻 外に"朧" "曙"等一文字名のものが8隻、合計23隻で各大體4隻づゝをもつて驅逐隊一隊を編制、時には水雷戰隊となり、或ひは航空戰隊に加はり、また警備戰隊に入つて活躍する。』〕。一等駆逐艦吹雪型(特型駆逐艦)の16番艦(特II型の6番艦)〔#ポケット海軍年鑑(1935)p.50『一等驅逐艦"狭霧 さぎり" 要目略}我が海軍の有する驅逐艦中にて特型と呼ばれるのはこれ等の最新式大型驅逐艦の別称で、その第一に建造されたのが雪の附く4隻(現在深雪は除籍)でその他に雲級が4隻、波級が4隻、霧級が4隻、それに"朧 おぼろ" "曙 あけぼの" "漣 さざなみ" "潮 うしほ" "暁 あかつき" "響 ひびき" "雷 いかづち" "電 いなづま" 以上23隻の同型艦を有するわけである。そして其の後に現はれたものが初春以降9隻の1,368噸型の最新型であるがこれ等のものも上記のものと同様に特型と呼ばれてゐる。即ちこれ等特型驅逐艦合計32隻の活躍こそは将來不幸にして一朝事ある場合に於て我が艦隊の手足として又時には他艦種の缺を補ふ方面に活躍するものとして大いなる期待がかけられてゐるのである。』〕。霧級(きりクラス)のうちの1隻〔#日本軍艦集2600年版p.443『一等驅逐艦 天霧(あまぎり) (艦要目略) 所謂特型驅逐艦で、同型計23隻、この中霧級には天霧のほかに、朝霧、夕霧、狭霧の三隻がある。』〕。
==艦歴==
1928年(昭和3年)11月23日、神奈川県横須賀市浦賀船渠で建造予定の吹雪型駆逐艦に「狭霧(さぎり)」の艦名が与えられる〔。1929年(昭和4年)3月28日起工、同年12月23日進水〔#艦船要目(昭和12年12月1日現在)p.5『狭霧|一等驅逐艦|(艦要目略)|浦賀船渠會社|昭和4-3-23|4-12-23|6-1-31|(兵装略)』〕。翌日には姉妹艦「」が起工されている〔#艦船要目(昭和12年12月1日現在)p.5『潮|一等驅逐艦|(艦要目略)|浦賀船渠會社|昭和4-12-24|5-11-17|6-11-14|(兵装略)』〕。「狭霧」は1931年(昭和6年)1月31日に竣工した〔。
1930年代は第8駆逐隊、第10駆逐隊(1940年、転籍により第20駆逐隊に変更)に所属し、演習や支那事変に参加した。太平洋戦争開戦時の所属は、第一艦隊・第三水雷戦隊(司令官橋本信太郎少将:旗艦川内)・第20駆逐隊(駆逐隊司令山田雄二大佐:朝霧夕霧天霧狭霧)であった。
1941年(昭和16年)12月8日太平洋戦争が勃発すると第20駆逐隊は、タイシンゴラ上陸の支援に当たった。マレー沖海戦においては、会敵前に戦闘は終了した。12月17日、馬来部隊から分派されボルネオ北部のミリ上陸作戦に参加、12月23日から24日にはクチン侵攻に参加した。しかし12月24日20時45分、クチンから約35マイル沖を航行中の狭霧はオランダ海軍潜水艦のK XVIから雷撃された。爆雷の誘爆による火災が狭霧の弾薬庫及び搭載魚雷に引火、大爆発を引き起こした狭霧は被雷後約15分間で沈没した〔#昭和16年12月三水戦日誌(1)p.35『25日0330第二護衛隊指揮官→南遣艦隊司令長官/戦闘概報第五号其ノ三|一.狭霧及所定ノ哨区ニ在リテ「ク」泊地対空対潜移動警戒中2045シパング岬354度27粁ニ於テ敵潜水艦ノ雷撃ヲ受ケ爆雷ニ誘爆火災引続キ爆薬庫三番聯管予備魚雷爆発2100沈没セリ|二.護衛隊ハ第三号掃海艇及白雲短艇ヲ以テ狭霧乗員救助ニ當ラシム(以下略)』〕。生存者駆逐艦長以下119名、戦死者121名〔#昭和16年12月三水戦日誌(1)p.55『12月24日(略)二.狭霧2100シパング岬ノ354°27kニテ哨戒中敵潜ノ雷撃ニ依リ沈没(イ)生存者艦長以下119名内重傷5名(ロ)戦死者121名』〕。
1942年(昭和17年)1月15日、前年度中に喪失した駆逐艦4隻(東雲、狭霧、如月疾風)および潜水艦や掃海艇の除籍〔#昭和17年1月~二水戦日誌(4)p.1『海軍大臣15日0700/15日附 一.東雲、狭霧、疾風、如月ヲ駆逐艦籍ヨリ除カル|二.呂六〇潜、呂六六潜ヲ潜水艦籍ヨリ除カル|三.掃六、掃一〇ヲ掃海艇籍ヨリ除カル』〕。
狭霧は吹雪型駆逐艦〔#内令昭和17年3月(2)p.2『内令第五十號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十七年一月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦一等ノ部中神風型ノ項中「疾風、」ヲ、睦月型ノ項中「如月、」ヲ、吹雪型ノ項中「東雲、」「狭霧、」ヲ削ル|潜水艦二等ノ部中「呂六十型」ヲ「呂六十一型」ニ改メ、同項中「呂號第六十、」「呂號第六十六、」ヲ削ル|掃海艇ノ部中第一號型ノ項中「、第六號」ヲ、第七號型ノ項中「第十號、」ヲ削ル』〕、
第20駆逐隊〔#内令昭和17年3月(2)pp.15-19『内令第七十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年一月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第十二驅逐隊ノ項中「東雲、」ヲ削ル|第二十驅逐隊ノ項中「、狭霧」ヲ削ル|第二十九驅逐隊ノ項中「疾風、」ヲ削ル|第三十驅逐隊ノ項中「如月、」ヲ削ル』〕、
帝国駆逐艦籍〔#内令昭和17年3月(2)pp.21-22『内令第七十九號|呉鎮守府在籍 驅逐艦 東雲 驅逐艦 狭霧|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 疾風 驅逐艦 如月|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル|佐世保鎮守府在籍 呂號第六十潜水艦 呂號第六十一潜水艦|右帝國潜水艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 第六號掃海艇|佐世保鎮守府在籍 第十號掃海艇|右帝國掃海艇籍ヨリ除カル|昭和十七年一月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎』〕
のそれぞれから除籍された。3月10日、解隊された第12駆逐隊から吹雪型白雲が編入され、第20駆逐隊は定数4隻(天霧、朝霧、夕霧、白雲)を回復した〔#内令昭和17年3月(1)p.35『内令第四百十三號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年三月十日 海軍大臣嶋田繁太郎|第十一驅逐隊ノ項中「初雪」ノ下ニ「、叢雲」ヲ加フ |第十二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十驅逐隊ノ項中「夕霧」ノ下ニ「、白雲」ヲ加フ』〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「狭霧 (駆逐艦)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Japanese destroyer Sagiri 」があります。




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