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リチャード1世(Richard I, 1157年9月8日 - 1199年4月6日)は、プランタジネット朝(アンジュー朝)第2代のイングランド王(在位:1189年 - 1199年)。ヘンリー2世の三男(第4子)。母はアリエノール・ダキテーヌ。妃はベレンガリア・オブ・ナヴァール(ナバラ王サンチョ6世の娘)。 生涯の大部分を戦闘の中で過ごし、その勇猛さから獅子心王(Richard the Lionheart、フランス語ではCœur de Lion)と称され、中世ヨーロッパにおいて騎士の模範とたたえられたが、10年の在位中イングランドに滞在することわずか6か月で、その統治期間のほとんどは戦争と冒険に明け暮れた〔堀米(1974)pp.238-241〕。 == 生涯 == === 父、兄弟との争い === 父ヘンリー2世には若ヘンリー、リチャード、ジェフリー、ジョンの4人の男子がいたが(長兄ウィリアムは夭折)、ヘンリー2世のジョンへの偏愛やフランス王の介入、さらに母アリエノールの息子たちへの助力もあり、フランス王、支配下諸侯を巻き込んだ父子兄弟間の争いが絶えなかった〔。リチャードは母の所領のアキテーヌを分配され、1183年に若ヘンリーが亡くなるとヘンリー2世の後継者となったが、代わりにそれまで統治していたアキテーヌをジョンに譲渡するよう父に命じられると、兄のように実権がない名目だけの共同君主とされることを嫌がったリチャードは、これを拒絶し反抗した。 その後、一旦父と和解したが、支配権をめぐる不満は残り、1188年、ヘンリー2世とフランス王フィリップ2世の争いのさなかの和平交渉中、フィリップ2世がヘンリー2世に、リチャードに大陸側のすべてのプランタジネット家領を相続させ、かねてから婚約していたフィリップ2世の異母姉アリス(兄若ヘンリーの妃マルグリットの同母妹)とすぐにでも結婚させるよう求めると、ヘンリー2世はこれを拒否した。するとリチャードは、「以前から有り得ないと思っていたことが、今ようやく事実なのだと分かった」と言い、父の前でフィリップ2世に臣従の誓い(オマージュ)をし、公然と父を否定し敵対した。1189年に力尽きた父がシノンで病死すると、イングランド王に即位した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リチャード1世 (イングランド王)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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