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猛虎浪 栄(もうこなみ さかえ 1984年4月5日 - )は、モンゴル国・ウランバートル出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は市川 栄(いちかわ さかえ)、モンゴル名はガンボルド・バザルサド(モンゴル語キリル文字表記:、ラテン文字転写:''Ganbold Bazarsad'')。身長187cm、体重152kg。得意技は左四つ、寄り、突っ張り。最高位は東前頭6枚目(2010年9月場所)。2011年、大相撲八百長問題にて引退勧告処分を受け引退した。血液型はB型。 == 来歴 == ウランバートル市内で翔天狼と同じ団地の住人だったが、お互い面識は無かったという。 学生時は、バスケットボールに熱中し、モンゴル相撲の経験はほとんどお遊び程度でやっただけであった。しかし、モンゴルの英雄・旭鷲山の取り組みを見ているうちに自分も力士になりたいと考えるようになり、偶然帰国していた旭鷲山を親戚から紹介され、来日を決意。ちょうど旭鷲山の兄弟子である立浪親方(元小結・旭豊)がモンゴル人力士を探していたこともあり立浪部屋を紹介され、2000年に来日した。入門直前には同時に来日した白鵬等と実業団の摂津倉庫相撲部で稽古を付けてもらい、2001年3月場所に初土俵を踏んだ。 猛虎浪の四股名は、初土俵が大阪だったのでご当地球団・阪神タイガースに因み、また立浪親方が元同球団の山田勝彦捕手と親交があったため、モンゴルの「蒙古」と同じ読みの「猛虎」と立浪部屋の「浪」をあわせて命名された(名の「栄」は部屋が栄えるようにとの願いで名付けられた)。ただし、モンゴルにおいて「蒙古」〔そもそもモンゴルでは一般的に中国に対する対立的な感情から漢字そのものを嫌うという。〕は蔑称とされているため日本においてもモンゴル人が使用をやめるよう呼びかけており、モンゴル出身力士もこの運動を支援している。猛虎浪本人がこのことを認識しているか、また運動を支援する力士に含まれているかどうかは不明。 なかなか体重が増えず三段目下位で苦労したが、徐々に体重が増えだし成績も右肩上がりに良くなり幕下に定着して行った。2005年1月場所から5場所連続勝ち越し、同年11月場所には東幕下2枚目まで番付を上げ5勝2敗と勝ち越し、2006年1月場所には十両に昇進した。 新十両となった1月場所5日目には、阪神タイガースのロゴマークと酷似したデザインの化粧まわしをつけ、事前に説明を受けていなかった球団営業部が調査に乗り出す事態となった。この化粧まわしのデザインは、虎の顔が左向き(正規デザインは右向き)で、鼻の色が薄く、顔の縞模様が異なるものだった。しかしその後球団側が、師弟が阪神ファンであること等を確認して特別許可を出し、翌3月場所には立浪大阪後援会から球団公認の正規ロゴマークが入った化粧まわしが贈られ、場所後には球団事務所を表敬訪問した。 その場所は好調で11勝4敗と勝ち越した。翌3月場所も西十両3枚目で9勝6敗と勝ち越し、新入幕の可能性もあったが、翌5月場所で東前頭16枚目の時津海と西前頭16枚目の十文字に阻止され、東十両筆頭止まりで入幕はならなかった。しかし、筆頭なので勝ち越せば入幕位置ではあったが、そのプレッシャーなのか否か、5勝10敗と大敗してしまった。7月場所、9月場所、11月場所も続けて負け越しで、1年間守り抜いた十両の座から陥落することになり、2007年1月場所は西幕下4枚目で迎え、優勝に王手をかけていた境澤との取組で敗れたものの5勝2敗と好成績を残した。しかし、自身より番付が上の白石・高見藤・北勝岩の3人が勝ち越したため、再十両は果たせなかった。翌3月場所は東幕下筆頭で4勝3敗と勝ち越し、返り十両を果たした。返り十両の場所でも8勝7敗と勝ち越し、翌7月場所も勝ち越すなど番付を徐々に戻し、十両19場所目となる2009年5月場所では西十両筆頭で11勝をあげ、翌7月場所で新入幕(西7枚目)を果たした。 2009年(平成21年)12月21日に、同年11月18日付で日本国籍を取得した事が発表された。モンゴル出身力士が日本国籍を取得したのは、大島部屋の継承を事実上前提とした旭天鵬勝に次ぐもので、その例と同様、師匠が養親となった。なお、同じ部屋のモンゴル出身力士で幕下の大鷹浪も、別の人物を養親としてともに日本国籍を取得した。 2011年の大相撲八百長問題では、八百長に関与したとを特別認定調査委員会に認められ〔谷川親方、霜鳳らの八百長関与認定 スポーツニッポン 2011年3月28日〕、4月1日の相撲協会臨時理事会の結果、引退勧告を受けた〔八百長関与23人に厳罰=理事3人も引責辞任-相撲協会 時事ドットコム 2011年4月1日〕。4月4日、引退届を提出し、受理された〔琴春日らが引退届を提出/大相撲 サンケイスポーツ 2011年4月4日〕。この引退によりモンゴルに住む家族が中傷されており、同じく八百長問題で引退した徳瀬川、光龍、白馬、保志光とモンゴルで釈明会見を近日中に行う予定〔関与認定19力士全員が引退届提出も「納得はしていない」…八百長問題 スポーツ報知 2011年4月6日〕。5月1日には所属していた立浪部屋に顔を出し、若い衆に胸を貸した。モンゴルでの日本を相手にした事業を始めることも決定している〔引退猛虎浪が若い衆に激励稽古 日刊スポーツ 2011年5月1日〕。 5月22日に断髪式を終え、今後は総合格闘技へ転進すると報道され「若いし、これからいろんなことにチャレンジする」「何でもやるつもり。まだ決めてないけど、出てみてもいい。1回、チャレンジしたい」とコメントしていたが〔猛虎浪が格闘家へ「チャレンジしたい」 日刊スポーツ 2011年4月11日〕、8月にIGFからプロレスデビューすることになった。〔八百長引退の元猛虎浪がプロレスデビュー 日刊スポーツ 2011年5月31日〕と報道されたが、当日姿を見せたもののリングデビューはしていない。その後起業し、モンゴルと日本を行き来している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「猛虎浪栄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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