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猪俣松五郎 : ミニ英和和英辞書
猪俣松五郎[いのまた まつごろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いのしし]
 【名詞】 1. wild boar 
: [また]
 【名詞】 1. groin 2. crotch 3. thigh
: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [ご]
  1. (num) five 

猪俣松五郎 : ウィキペディア日本語版
猪俣松五郎[いのまた まつごろう]
猪俣 松五郎(いのまた まつごろう、1870年 - 1943年)は、日本政治家教育者である。
== 人物 ==
大住郡金目村名主与右衛門の次男として生まれる。三郡共立学校(神奈川県立秦野高等学校神奈川県立平塚農業高等学校の前身)を経て、東京神田共学院で学ぶが、長男の死亡により、帰郷し、家督を継いだ。その後、1898年明治31年)、金目村役場書記1900年(明治33年)、収入役を経て、1905年(明治38年)、金目村村長に就任した。以後、1918年大正7年)から1935年昭和10年)まで4期村長を務めた。この間、金目村村会議員を6期、中郡会議員を2期務め、また金目村農会長、金目村耕地整理組合長、中郡農会副会長、会長を歴任した。1923年(大正12年)の関東大震災後は、その復興、金目川拡張・堤防工事を実施した。また私立中郡盲学校1902年(明治35年)創立の中郡立中郡農業学校(秦野高校と平塚農業高校の前身)、1909年(明治42年)創立の私立育英学校(秦野高校の前身)、1924年(大正13年)創立の中郡六カ町村組合立育英学校(私立育英学校の後身)の創立とその維持拡充に尽力し、また1926年(大正15年)の中郡二十六カ町村組合立奈珂中学校(組合立育英学校の後身)の創立にも尽力した。1935年昭和10年)、4期務めた金目村村長を退任し、1943年(昭和18年)12月24日に死亡した〔神奈川県県民部県史編集室『神奈川県史 別編1 人物』(1983年、神奈川県弘済会)「猪俣松五郎」、神奈川県立秦野高等学校『秦野高等学校史』(ぎょうせい、1986年)72,79,89頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「猪俣松五郎」の詳細全文を読む




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