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猪子 止戈之助(いのこ しかのすけ、1860年6月(万延元年4月) - 1944年(昭和19年)1月31日)は、日本の明治期から昭和初期における外科医。京都帝国大学医科大学名誉教授、同附属病院初代院長、日本で最初の喉頭癌手術を行った。但馬国豊岡藩出身。 == 生涯 == 1860年6月(万延元年4月)、但馬豊岡藩(現兵庫県豊岡市)の家老猪子清の長男として誕生した〔「昭和人名辞典」 Pイ67「猪子止戈之助」の項(光人社 1933年)〕〔「代表的人物及事業」 医術界P7「猪子止戈之助」の項(時事通信社編輯局 時事通信社 1913年)〕。1873年(明治6年)東京外国語学校に入り、翌年東京医学校に転じ、1882年(明治15年)3月東京大学医学部を卒業した〔〔。同期には青山胤通・西郷吉義・佐藤三吉・田代正等がいる〔「東京帝国大学一覧 従明治21年至22年」(東京帝国大学 1889年)〕。 卒業した年の5月京都府立医学校教諭になり、1887年(明治20年)には医学校校長に就任〔「京都大学七十年史」(京都大学七十年史編集委員会編 京都大学 1967)〕、翌年には日本で初の喉頭癌全剔出摘出手術を成功させた〔「京都の医学史 資料編」(京都府医師会編 思文閣出版 1980年)〕。 その後、第三高等中学校(京都帝国大学の前身)教授となり〔〔、1891年(明治24年)大津事件で負傷したロシア皇太子(後のニコライ2世)を京都で治療。1892年(明治25年)ドイツ留学を命じられ〔 「幕末明治海外渡航者総覧 第1巻」 P126「猪子止戈之助」の項(手塚晃・国立教育会館編 柏書房 1992年)〕帰国後第三高等中学校に復職した〔。1895年(明治28年)には我が国初の胃切除手術を行い、官立医科大学の京都設置ならびに附属医院設立に奔走し1899年(明治32年)京都帝国大学医科大学が創立すると初代教授として外科学第一講座を担当した〔。同年12月医学博士学位を授与され〔「大日本博士録 大正11年9月1日」博士番号第48〕、1900年(明治33年)には再び渡欧を命じられドイツで外科学を研鑽した〔〔。 1921年(大正11年)京都帝国大学を退官し同大学より名誉教授に補され〔、1944年(昭和19年)1月31日死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「猪子止戈之助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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