翻訳と辞書
Words near each other
・ 獨逸学
・ 獨逸学協会
・ 獨逸学協会中学校
・ 獨逸学協会学校
・ 獨逸學協會
・ 獨逸學協會學校
・ 獨鈷山西明寺
・ 獩
・ 獪
・ 獫
獫允
・ 獫狁
・ 獬
・ 獬豸
・ 獭
・ 獮
・ 獯
・ 獰
・ 獰猛
・ 獱


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

獫允 ( リダイレクト:ケン允 ) : ウィキペディア日本語版
ケン允[けんいん]

獫允(けんいん)は、中国の北方と西北方に位置した古代民族。また厳允、獫狁、玁狁などと呼称される。その形跡は金文と先秦古籍において最古のものを見ることができ、ときには「昆夷」などの名とともに混ぜ書きされるが、居住地区が同じためである。
西周の中期、玁狁が強盛となり、焦獲に移住し、また焦獲から南侵して、鎬・朔方および涇陽にいたって、直接に周王朝を脅かすようになると、周の宣王は大将の南仲に命じて軍を率いて北征させ、合わせて朔方に築城させた。『詩経』采微では、当時の周王朝と玁狁の戦いの状況と兵士の厳しい生活を「薇(わらび)を采り薇を采る、薇また止まんと作す。歸らんと曰い歸らんと曰う、歳また止むことなし。室を靡(す)て家を靡つるは、玁狁の故なり。啓居する遑(いとま)なきは、玁狁の故なり」と描写した。東晋謝玄はこれを『詩経』中で最高の詩篇と称している。
春秋時代に玁狁は戎狄と呼称され、戦国時代にはの北の地域に分布した。秦代には蒙恬が30万の軍を率いて撃破したものを北に移し、秦末にはゴビ砂漠の南北を統治して、南は陰山を越え、黄河を渡り、オルドスの沃土を占拠した。王朝が創始されると、多くは玁狁を匈奴の先民とみなし、『史記』匈奴列伝には、「以前には山戎・玁狁・葷粥があった。北蛮に居住し、家畜を放牧しながら移動した」と書かれる。ただしこれは「匈奴その先祖は夏后氏の苗裔である」との説とは矛盾する。近代になって考証家により鬼方・昆夷と玁狁は同一民族の別の名称と考えられるようになった。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ケン允」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Xianyun 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.