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獺野原の戦い : ミニ英和和英辞書
獺野原の戦い[うそのばるのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわうそ]
 (n) (uk) otter
: [の]
 【名詞】 1. field 
野原 : [のはら]
 【名詞】 1. field 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

獺野原の戦い : ウィキペディア日本語版
獺野原の戦い[うそのばるのたたかい]
獺野原の戦い(うそのばるのたたかい)は、永禄2年(1559年)5月中旬から8月16日〔日付については複数の説あり。〕にかけての約3ヶ月間、肥後国相良氏の領内で続いた内乱を決することになった戦いである。些細な私事を発端とする内乱ながら戦国時代球磨郡内で最大の合戦となった。
主戦場の場所は、球磨川の北岸、現在の多良木町黒肥地の付近であった。
== 概要 ==

=== 発端 ===
永禄2年(1559年)、人吉城(通称:中城)の城詰め衆である児玉弥太郎、早田平八郎、深水新左衛門の三人が、人吉奉行丸目頼美の母に仕える多数の侍女〔身分はであり、丸目家の私有財産として、自由な移動を禁じられた女性である。〕とそれぞれ密通しており、三人がこの侍女らを奪おうとしたことに端を発する。
三人は、相良の両輪ともいうべき人吉奉行の丸目頼美と東長兄を争わせて、その隙に侍女を連れ出す(または丸目を亡き者にしてその財産である婢を奪う)という計略を宗慶寺(人吉市新町)の僧・智勝より授かり、それを実行に移した。まず、児玉が夜中に長兄の屋敷へと出向き、頼美が長兄を倒して威勢を強めようとしていると虚言を述べた。初めは長兄も信じなかったが、頼美は毎夜城にこっそりと登城してその母と謀議をしていると讒言し、長兄が甥を行かせて調べると実際に頼美が夜に登城していたことがわかり、信じるようになった。頼美の屋敷には早田と深水が出向き、長兄が頼美を倒そうと準備していると述べた。これ以後、両者は対立を深めた。
これを懸念した当主相良義陽の母である(太夫人)内城君は、頼美の姻戚で長兄の親族でもある湯前城主〔湯前城址は、現在湯前町の(市房山神宮)里宮神社の敷地である。市房山神宮は水上村にある霊山市房山を本体とし、山中の本宮、山麓の一の宮神社(中宮)、町内の里宮神社(下宮)の3社で構成される。もともとは里宮はなく、参拝が不便であるために里に造られたのでこの名前がある。〕東直政に仲裁を頼んだ。直政は、乱を未然に防ぐためにどちらかを殺せと命じられると相当の覚悟をして登城したが、そのような命令を受けなかったことから、もしもの時には内城君を奉じて湯前城に逃れるように頼美に告げただけで帰って行った。しかしこれを伝え聞いた長兄は、頼美と直政が内城君を奉じて乱を起せば自分が逆賊の汚名を着せられてしまうと危機感を抱いた。
そこで長兄は先手を打つことにし、これでは自分が主に背くしかなくなると義陽と内城君を説得して、同年5月15日(または5月19日)の夜半、二人に仮病をつかわせ密かに赤池城へと連れ出した。義陽と内城君が長兄に伴われて赤池城へ着く頃、長兄の家臣60余人が、「叛臣丸目氏を除く」と大声で叫んで、長兄の屋敷から頼美の屋敷へ向けて火矢を放った。頼美は突然の攻撃に恐れおののき、為す術なく妻子、及び母とその侍女らを連れだって湯前城へと落ち延びた。直政は事前の約束と違い、内城君を奉じていないことに難色を示したが、ともに籠城することになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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