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玄哲海 : ウィキペディア日本語版
玄哲海[ひょん ちょるへ]
玄哲海(ヒョン・チョルヘ、현철해、1934年8月 - )は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の軍人。人民武力部第一副部長兼後方総局長、朝鮮労働党中央委員会政治局員、党中央軍事委員会委員を歴任した。朝鮮人民軍の軍事称号(階級)は次帥
== 経歴 ==
1993年12月8日、朝鮮労働党第6期党中央委員会第21回総会において党中央委員に選出される〔中川雅彦「目標未達成で終了した第3次7カ年計画 - 1993年の朝鮮民主主義人民共和国 」『アジア動向年報』1993年版、41-42ページ〕。1995年9月、朝鮮人民軍後方総局長への就任が判明〔「参考資料 1995年 朝鮮民主主義人民共和国 」『アジア動向年報』1995年版、96ページ〕。同年10月8日、人民軍最高司令官命令により大将に昇格した〔中川雅彦「軍の世代交代進展 - 1995年の朝鮮民主主義人民共和国 」『アジア動向年報』1995年版、77ページ〕。
2008年には、金正日総書記に最も多く随行(32回)。金正日の次男である金正哲との結びつきが強いと言われ、2008年8月以降金総書記の重病説が流れる中、仮に3代にわたる世襲が行われる場合、正哲の後援者となるとされていた。また金正恩の軍事教育を担当していたとされる〔。
朝鮮人民軍総政治局副局長、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会総務局長を経て、金正恩体制が発足した2012年4月に人民武力部第一副部長(組織担当)兼後方総局長に就任した。同年4月7日、党中央軍事委員会および国防委員会の共同決定により次帥に昇格〔「朝鲜向崔龙海和玄哲海授予人民军次帅军衔 」『中国新聞網』2012年04月11日 〕〔「<北朝鮮>大抜擢された崔龍海とは何者か? 」『アジアプレス』2012年4月12日〕。同年4月13日、第4回党代表者会において党中央委員会政治局員および党中央軍事委員会委員に選出された〔「朝鮮労働党第4回代表者会議が行われる 」『ネナラ』2012年4月12日〕。
2013年5月に、人民武力部第一副部長の役職から解任されていたことが判明した。解任の理由は高齢による健康問題と推測された。後任は全昌復(チョン・チャンボク)である〔北朝鮮 人民武力部第1副部長も交代=全昌復氏 聨合ニュース 2013年5月17日〕。
2014年3月に行われた第13期最高人民会議代議員選挙で代議員に再選されなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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