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率川神社(いさがわじんじゃ)は奈良県奈良市本子守町にある神社。大神神社の境外摂社で、正式名称を率川坐大神御子神社といい〔奈良市史 社寺編 p.181〕、また子守明神とも呼ばれる〔公式サイトより〕。『延喜式神名帳』に「率川坐大神神御子神社 三座」と記載される式内小社。 == 由緒 == 推古天皇元年(593年)2月3日、大三輪君白堤が勅命により奉斎したとされ〔、奈良市最古の神社という〔。仁寿2年(852年)、文徳天皇の代に従五位下を授けられ、神封6戸(左京4戸、丹後国2戸)を与えられている〔。 治承4年(1180年)12月、平重衡の乱によって社殿が消失〔〔『玉葉』〕。中世以降は春日若宮神官により管理され、興福寺とのつながりが大きかった〔。そのため、中世期の遷宮記録などは、『大乗院寺社雑事記』に度々記録されている〔。近世には春日大社の大宮外院11社の中にあったが、1877年(明治10年)3月、内務省達により大神神社摂社率川坐大神御子神社と定められた〔。 本殿中央に御子神(媛蹈韛五十鈴姫命)が祀られ、父母神(西に御父神・狭井大神、東に御母神・玉櫛姫命)が両脇によりそうような姿で鎮座していることより、古くから「子守明神」とたたえられ、安産、育児等の神として篤い信仰がよせられている〔。南辺を流れる率川は、よって子守川との俗称もある〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「率川神社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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