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玉ノ井 福司(たまのい ふくじ、1860年6月9日〈万延元年4月20日〉 - 1900年〈明治33年〉10月28日)は、伊勢ノ海部屋及び玉ノ井部屋に所属した元力士〔http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3518&l=j〕。 本名は玉野井 福治〔。姓は小林→助川→小林→玉野井と数回変遷している。身長173cm,体重98kgと小兵だった。出身地は現在の栃木県大田原市(旧・下野国那須郡)。 最高位は西前頭4枚目。 入門前は地元の小学校の代用教員や村役場書記を務めたが、相撲好きが高じて入門したと伝わる。1885年5月初土俵(二段目〈現在の幕下〉)。1889年1月新十両〔(東二段目6枚目となり十両相当となった)。1893年1月新入幕。幕内では5割にやや足りない勝率で推移した(その為三役に昇進することが出来なかった)が、時折上位陣を苦しめた。1899年5月場所では、第17代横綱だった小錦に対して金星を挙げている〔入幕順幕内力士一行紹介・二十(相撲評論家の頁) 〕。一方で、1898年5月より第8代玉ノ井として、二枚鑑札となり部屋経営にも当たった。しかし多忙が祟り、1900年10月28日に巡業先の愛知県名古屋市熱田区で脳充血に罹り〔古今大相撲事典(ISBN-13: 978-4336018786)〕、急逝した。40歳の若さだった。 幕内通算 16場所 49勝65敗7分7預32休を残した。金星1個(小錦)を獲得している。1891年1月場所6日目(1月15日)の泉滝との取組では、自身の廻しが取れるという珍事が起こっている(記録上では、3年前の1888年1月場所8日目〈2月5日〉の相生vs嵐山戦で嵐山の廻しが外れて以来、2例目の出来事であった)〔マワシが外れて「チン」出し 珍場面ブログ(2010年1月16日記事)〕〔両者には共通点が多く、初土俵が遅かった点,複数の部屋を点々とした点,そして共に現役中に巡業先で死去した点が挙げられる。〕。当時は不浄負けの制度がなかったため、直ぐに廻しを締め直し、結果的には取り直しとなり、勝負が付かず引き分けになったと伝わっている。 改名歴は1回ある:高浪 福治 → 玉ノ井 福司〔 == 出典 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「玉ノ井福司」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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