翻訳と辞書
Words near each other
・ 玉井冽
・ 玉井勝則
・ 玉井区
・ 玉井収介
・ 玉井哲雄
・ 玉井喜作
・ 玉井夕海
・ 玉井孝
・ 玉井宮東照宮
・ 玉井尚登
玉井操
・ 玉井敬之
・ 玉井敬子
・ 玉井新平
・ 玉井日出夫
・ 玉井村
・ 玉井村 (埼玉県)
・ 玉井村 (福島県)
・ 玉井栄
・ 玉井正夫


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

玉井操 : ミニ英和和英辞書
玉井操[たまい みさお]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たま, だま, ぎょく]
  1. (n,n-suf) ball 2. sphere 3. coin
: [い]
 【名詞】 1. well 
: [みさお]
 【名詞】 1. chastity 2. fidelity 3. honour 4. honor 5. faith 

玉井操 : ウィキペディア日本語版
玉井操[たまい みさお]

玉井 操 (たまい みさお、1903年12月16日 - 1978年12月23日)は、日本実業家サッカー選手玉井商船社長 (2代目)、日本船主協会副会長、日本サッカー協会副会長などを歴任した。
== 来歴 ==
兵庫県出身。玉井商船の創業者・玉井周吉の長男として生まれ、明治学院中等部在学中よりサッカーを始めた。1922年、第一早稲田高等学院に入学して早稲田大学ア式蹴球部に入部。1923年にはビルマ人留学生のチョウ・ディンよりサッカーの直接指導を受けた。1924年に早稲田大学政治経済学部に入学〔した後もア式蹴球部に在籍し、関東大学リーグ優勝などに貢献した。また、在学中の1927年8月に上海で開催された極東選手権競技大会サッカー日本代表に選出され、中華民国代表戦で1得点を挙げた。
大学卒業後の1928年より神戸海上火災保険(現在のあいおいニッセイ同和損害保険の前身)に入社・勤務した。1935年4月に父・周吉が死去したことに伴い、同年4月に神戸海上を退職〔。同年5月に玉井商船に入社すると同時に玉井商船の第2代社長に就任した〔玉井商船株式会社 有価証券報告書(1978年3月期)、2014年9月26日閲覧〕。
1947年10月、玉井商船の社長を退任したが、1951年1月に玉井商船の社長に再度就任〔。1955年11月に大同汽船の社長に就任(1978年6月より会長に就任)〔。1958年11月、日本船主協会(JSA)の阪神地区船主会議長、1958年12月よりJSAの副会長兼常任理事を務めた(1970年5月に議長と副会長は退任)〔。
1959年2月、海運造船合理化審議委員に就任(1970年5月に退任)〔。1964年11月より神戸市商工会議所副会頭、1966年12月より兵庫県公安委員会委員(1972年12月に退任)、1971年5月より神戸国際会館の社長を夫々歴任した〔。
褒章としては1966年藍綬褒章1974年には勲三等旭日中綬章、また没後の1979年には正四位の追叙が行われた。
サッカー関係の公職としては、1931年より関西蹴球協会兵庫支部長、1939年より兵庫県蹴球協会会長、1957年より関西サッカー協会会長および日本サッカー協会副会長をそれぞれ歴任した。また、1970年に設立された日本最初の法人格を持つサッカー団体である社団法人神戸フットボールクラブの初代会長に就任した。
1978年12月23日神戸市生田区(現:中央区 (神戸市))の神戸掖済会病院急性心不全により死去した〔「玉井操氏 訃報」 朝日新聞、1978年12月23日、2014年9月26日閲覧〕。
2006年日本サッカー殿堂に掲額された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「玉井操」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.