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玉城俊一 : ミニ英和和英辞書
玉城俊一[たまき としかず]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たま, だま, ぎょく]
  1. (n,n-suf) ball 2. sphere 3. coin
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 
: [じゅん]
 【名詞】 1. excellence 2. genius
: [いち]
  1. (num) one 

玉城俊一 : ウィキペディア日本語版
玉城俊一[たまき としかず]
玉城俊一(たまき としかず、1920年(大正9年)1月4日 - 1991年(平成3年)7月17日)は、日本の銀行家。元荘内銀行頭取、会長。
== 来歴・人物 ==
東京都出身。学徒出陣を経て安田銀行(後、富士銀行)入行。九段札幌等枢要店において支店長を歴任後、安田商店発祥の地である小舟町支店で取締役支店長を務めた〔荘内銀行百年史編纂室編 『創業百年史』 荘内銀行、1981年〕。
1970年代、荘銀がメイン先を務める農機具製造の今間製作所(現:コンマ製作所)〔1976年(昭和51年)10月、負債約27億円をかかえ倒産会社更生法を適用し1987年(昭和62年)11月、再生手続きが終結した。〕、庄内交通等の経営危機が表面化しその不良債権処理に際して、ノウハウの提供と資金的、人的支援を安田銀行以来の親密先である富士銀行に求めることになり、玉城が招聘され第5代頭取に就任した〔『日本金融通信縮刷版 1974年度』日本金融通信社、 1975年。〕。
頭取在任時においては、山形相互銀行(現きらやか銀行)と折半出資により、エスワイコンピューターサービスを設立。委託方式で共同オンラインを稼動させた。これは、コンピューターのみならず、店外CDATMも共同化したことに効率性が高いと他行からも高い評価を得た。また、鶴岡市の工業団地に対して、工場誘致を自ら働きかけるなど地域振興にも意欲的であったほか〔田中貴金属工業鶴岡工場(現:OKIサーキットテクノロジー)などの誘致に尽力した。〕〔「シリーズ 地方金融戦線を行く<東北> ② 山形 地域振興へ企業誘致に意欲的な地銀2行」『週刊金融財政事情』1981年1月19日号〕、内陸部強化のため山形本部も開設した。さらに、1978年(昭和53年)には創業100周年を迎えた。
1986年(昭和61年)には、鶴岡出身で地縁もあった笹原信一郎を後任として招聘し会長に退いた。
1991年(平成3年)7月17日、急性呼吸不全で逝去。享年71〔日本経済新聞 1991年7月19日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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