|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 玉 : [たま, だま, ぎょく] 1. (n,n-suf) ball 2. sphere 3. coin ・ 川 : [かわ] 【名詞】 1. river 2. stream
玉川 スミ(たまがわ すみ、1920年7月17日 - 2012年9月25日)は、女流俗曲師(音曲師、三味線漫談家)。落語芸術協会所属、同団体参与。本名:中川スミ。 == 人物 == 福島県郡山市出身。父が浪曲師の桃中軒雲工。父の影響で天才少女浪曲師として初舞台を踏む。 初舞台は3歳のときで、14歳までに13回親が変わっている。 その後、女歌舞伎、新派、喜劇、民謡、女道楽、漫才、都々逸、松づくし等あらゆる寄席芸を習得してきた。漫才では「桂小豆」の名で「大朝家シゲオ」(後の「宮アオバ・シゲオ」の「宮シゲオ」)や、大江茂(妻は大江笙子)とコンビを組む。1971年文化庁芸術祭賞優秀賞受賞。1991年勲五等宝冠章受章、2002年松尾芸能賞・特別賞受賞。 その後は定席の寄席を中心に高座を勤め、晩年は人のオーラが見えると発言していた(痛快!明石家電視台でのナイツにて)。 桂米助は「寄席の世界のシーラカンス」(2007年5月15日放送のNHKラジオ第一「真打ち競演」の「最後の審判」のマクラ冒頭(桂米助の前に彼女が出ていた流れで))、瀧川鯉昇は「我々の業界の最長老」(「瀧川鯉昇1」収録の「ちりとてちん」のマクラ)と言っている。 笑点では、内海桂子、あした順子とともに、高齢女性のネタをする際に名前を出されることがある(小遊三は、チーム対抗戦の際に自分たち(好楽・木久扇)の合コン相手として、3人の名前を挙げ、歌丸から「合コンじゃなくて拷問」とネタにされていた。六代目圓楽からは、「玉川スミ→内海桂子→順子・ひろし→歌丸」のカウントダウンとネタにされたこともあった)。ちなみに、笑点の正月特番の中で行われた大喜利で、内海桂子やあした順子と共演したこともある。 2012年9月25日、心不全のため92歳で死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「玉川スミ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|