|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 玉 : [たま, だま, ぎょく] 1. (n,n-suf) ball 2. sphere 3. coin ・ 象 : [ぞう] 【名詞】 1. elephant
玉楮 象谷 (たまかじ ぞうこく、1806年11月13日(文化3年10月4日)〔文化4年(1807年)10月4日生まれとも(コトバンク )。〕 - 1869年3月13日(明治2年2月1日)〔コトバンク 〕)は、江戸時代後期の日本の漆工職人。讃岐国高松出身で、讃岐国とその他諸藩の漆工技術、特に彫漆の発展に貢献した。香川漆器の基礎を築いたとされる。中国渡来の漆芸家の子孫、堆朱楊成の門弟という〔「産業調査報告書. 第2輯」村上町の堆朱堆黒の調査項新潟商業学校産業調査部出版、1936年〕。名は為造、通称は敬造、正直〔。 == 来歴 == 祖父は藤川理左衛門といい、鞘塗師であった。父藤川敬三も家業を継いで象谷は父の指導の下で修練を重ねた。同時に彫刻を学ぶ。京都の貫名海屋、永樂保全、篠崎小竹や、阿部絹洲、宮本敬哉と親交した。保全、敬哉とは特に親しくなった。唐の漆工家、張成の作品を元にして彫漆を研究し、存星、また新たに鮮やかな光沢の象谷塗(讃岐蒟醤)を生み出した。 文政13年(1830年)10月より松平頼恕に、次代松平頼胤、そして松平頼聰と代々仕えて、300余りの作品を創作した。名字帯刀を許され玉楮を名乗った。 嘉永年間にアメリカの黒船が寒川の志度浦を訪れたときに象谷作の大盆が艦長へ送られ、艦長は大いに感謝したといわれる。 明治2年(1869年)に亡くなった。 高松市立中央公園に象谷の銅像が建立されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「玉楮象谷」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|