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玉津丸 : ミニ英和和英辞書
玉津丸[たまつまる]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たま, だま, ぎょく]
  1. (n,n-suf) ball 2. sphere 3. coin
: [まる]
 【名詞】 1. (1) circle 2. (2) full (month) 3. (3) perfection 4. purity 5. (4) suffix for ship names 

玉津丸 : ウィキペディア日本語版
玉津丸[たまつまる]

玉津丸(たまつまる)は、日本陸軍大阪商船の名義で太平洋戦争中の1944年(昭和19年)1月に竣工させた揚陸艦上陸用舟艇の母艦機能を有し、陸軍特殊船と呼ばれた。竣工からわずか半年余りの1944年8月にヒ71船団の1隻としてフィリピンへ向かう途中、アメリカ海軍潜水艦の攻撃で撃沈された。乗船中の第26師団の将兵ら4820人のほとんどが戦死し、日本の戦没輸送船のなかでも特に犠牲者数が多い。
== 建造 ==
日本陸軍は1934年(昭和9年)に建造した神州丸の成功を踏まえ、同種の陸軍特殊船の量産を計画した。しかし平時から大型船多数を維持することは予算的に困難であった。そこで、民間船会社に補助金を交付して民間船扱いで建造させ、有事にのみ徴用する形式が採られることになった〔。その1隻として、大阪商船を船主に予定して発注されたのが玉津丸である。三井造船玉野工場で1942年(昭和17年)11月4日に起工され、1944年(昭和19年)1月20日に竣工した〔。陸軍特殊船の船名は上陸戦という用途にちなんで港を意味する「津」が付いた名前が多く、玉津丸もそれに倣っている〔。
玉津丸は陸軍特殊船のうち基本形の甲型に属し、同じ三井造船玉野工場で先に建造された摩耶山丸と同型である〔。ただし、野間(2002年)は、戦時標準船に準じた戦時仕様のM甲型とする〔。外形は神州丸が軍艦に近い特異な姿だったのに対し、正体を秘匿するため通常の貨客船などに似せた姿となっている〔。しかし船体内は上陸用舟艇を収容する全通甲板の格納庫で、船尾に急速発進用のハッチを有し、商船とはまったく異なった構造である。兵員居住区画としての使用を想定したためか、舷窓が多く設けられている〔。上甲板には船倉口が4か所設けられており、そのうち2番・3番倉口は大発動艇が収納できる大型倉口になっていた。荷役設備として、太い門型のデリックポストが4組装備されている。機関はディーゼルエンジンを使用し、スクリュー2基で航行する。輸送能力は兵員1955人を定員として設計されているが、実戦では大幅に超過した約4500人を乗船させている〔。
姉妹船の摩耶山丸との設計の違いとして玉津丸の方が煙突の外筒の背が低く、排気筒が突出した形状になっている点で識別できる〔。ほかに甲型に属する特殊船としては日立造船因島工場で吉備津丸が建造されたが、主機が蒸気タービンエンジンで、1番・4番デリックポストが門型ではなく単脚型などの違いがある〔岩重(2009年)、102頁。〕。播磨造船所製のにぎつ丸も甲型であるがあきつ丸と同じ航空機搭載用の丙型から仕様変更されたもので、設計が異なっている〔岩重(2009年)、9頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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