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玉海力 剛(たまかいりき つよし、1966年7月16日 - )は、日本の元大相撲力士、元総合格闘家、日本ビーチ相撲連盟指導者、実業家(株式会社玉海力代表取締役)。本名は河辺 幸夫(かわべ ゆきお)。東京都渋谷区出身。大相撲時代は身長184cm、体重143kg。片男波部屋所属。得意技は右四つ、上手投げ。最高位は前頭8枚目。叔父は将棋棋士で元棋聖・元王位の森雞二。 == 来歴 == === 大相撲 === 父親から「力士になれ」と言われ、中学校2年生の時に墨田区立両国中学校に転校して片男波部屋に住み込んで生活をした。1982年3月場所に初土俵を踏み、1989年9月場所に新十両、1991年秋場所に新入幕を果たした。「玉海力でなく“玉怪力”だ」と言われた怪力を活かして、右四つに組み左上手から構わず投げる相撲を得意としたが、十両までは力で通用したが幕内では厳しく定着できなかった。大相撲で初めてマウスピースを使用するなど、研究熱心であることでも知られている。 1993年5月場所の千秋楽の相撲で右手親指を骨折。1994年7月場所後に親方の反対を押し切って手術するが失敗。その後は体中が痺れて腕力も落ちて序二段まで降格し、1996年3月場所をもって引退した。本人は引退相撲を希望したが親方の反対〔片男波からは「絶対に赤字になる。お金は大事にしなさい」と、反対する理由を説明されたという。〕で断念し(断髪式は出来たが)、親方とはその件以来険悪な状態になった。 引退後は1996年に実家近くの渋谷区広尾に「どすこい酒場 ちゃんこ玉海力」をオープンし、現在は武蔵小山と中国山東省にも支店を出している。酒豪としても知られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「玉海力剛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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