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玉鷲 一朗(たまわし いちろう、1984年11月16日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で片男波部屋所属の現役大相撲力士。本名はバトジャルガリーン・ムンホルギル(モンゴル語キリル文字表記:、ラテン文字転写:''Batjargalyn Munkh-Orgil'')、愛称はオギ。得意手は押し。身長189cm、体重168kg。血液型はAB型。最高位は東小結(2015年3月場所)。趣味は小物作り。好物は野菜の天麩羅。〔大相撲:お相撲さん強いねー!! 小倉南・みのり保育園児、片男波部屋3力士と交流 /福岡 毎日新聞 2014年12月4日(木)〕''、ラテン文字転写:''Batjargalyn Munkh-Orgil'')、愛称はオギ。得意手は押し。身長189cm、体重168kg。血液型はAB型。最高位は東小結(2015年3月場所)。趣味は小物作り。好物は野菜の天麩羅。〔大相撲:お相撲さん強いねー!! 小倉南・みのり保育園児、片男波部屋3力士と交流 /福岡 毎日新聞 2014年12月4日(木)〕 ==経歴== モンゴルではホテルマンを目指して母国のモンゴル食料技術大学で勉強していたが、姉が日本に留学していたこともあり、自分の大きな体と腕力を生かして相撲をやってみたいと思うようになった。来日して姉と二人で両国を訪れ、井筒部屋の前を通りかかったときに、鶴竜と出会い入門の相談をし、旭鷲山の連絡先を教えてもらった。それが縁で2004年1月場所に片男波部屋に入門して初土俵を踏んだ。入門前にスポーツ経験はなかったものの〔新小結の玉鷲 外国人三役最スロー記録に「長いとも、短いとも思う」 Sponichi Annex 2015年2月23日 15:35 〕〔玉鷲 外国出身最スロー初金星!日馬下した運動未経験力士 Sponichi Annex 2015年5月19日 05:30 〕、2005年7月場所に幕下へ昇進し、2007年9月場所では西幕下32枚目の位置で7戦全勝の成績を挙げて初の幕下優勝を果たし、翌11月場所でも西幕下2枚目の位置で4勝3敗と勝ち越しを決め、翌2008年1月場所において新十両へ昇進した。十両でも4場所連続で勝ち越しを決めて、同年9月場所において新入幕を果たした。 新入幕となった2008年9月場所では4勝11敗と大きく負け越し、翌11月場所に十両へ陥落したが、その11月場所において西十両4枚目の位置で10勝5敗の好成績を挙げて、翌2009年1月場所に再入幕を果たした。同年9月場所には再び十両へ陥落したが、その9月場所で東十両筆頭の位置で11勝4敗の好成績を挙げて初の十両優勝を果たした。翌11月場所に3回目の入幕を果たし、その11月場所では10勝5敗の好成績を挙げた。2010年9月場所では10勝5敗の好成績を挙げて、翌11月場所でも9勝6敗と勝ち越しを決めて、翌2011年1月場所では自己最高位の西前頭3枚目まで番付を上げた。その1月場所では5勝10敗と大きく負け越し、その後も2011年は年間を通して全く勝ち越すことができず、2012年1月場所には十両へ陥落した。翌3月場所に4回目の入幕を果たし、同年9月場所には再び十両へ陥落したが、翌11月場所に5回目の入幕を果たした。2013年7月場所には6回目の入幕を果たしている。2014年1月場所は東前頭6枚目での8勝7敗という成績ながら平幕上位に勝ち越し者が少なかった〔その場所では東前頭筆頭から西前頭5枚目にかけて勝ち越しを果たした力士が豊ノ島(東前頭筆頭で8勝7敗)と松鳳山(東前頭5枚目で9勝6敗)しかいなかった。〕影響で翌3月場所は4枚半上昇となる西前頭筆頭の地位を与えられ、自己最高位を更新。その3月場所は初日から7連敗と上位の壁に当たり、中日以降星を伸ばすも5勝10敗の大敗に終わった。2014年6月14日、鶴竜横綱昇進披露宴で2年前に元モデルのモンゴル人女性と結婚していたことを明かし、夫人と一緒に昇進披露宴へ出席して関係者らに披露。因みに夫人は春日山部屋所属で幕下の高春日の実姉である。〔幕内玉鷲、モンゴル美女と結婚していた nikkansports.com 2014年6月14日 〕同年11月場所4日目に怪我を乗り越えて再入幕を果たした栃ノ心と対戦した際には、相手の顎に頭突きが当たって崩れる形で白星を得た〔意地の豪栄道? 白鵬「当たり前っちゃ当たり前」 朝日新聞 2014年11月12日20時44分 : 奇しくもこの1番で栃ノ心は十両に在位していた同年7月場所から継続していた連勝記録を22でストップさせた。〕(決まり手は押し倒し)ことが話題となり、この11月場所を8勝7敗の勝ち越しで終えた。〔栃ノ心アゴに頭突き受け初黒星 Daily Sports Online〕2015年1月場所は東前頭9枚目。その場所は、6日目まで3勝3敗だったが、7日目からの5連勝で勝ち越しが決定。10勝5敗を挙げて敢闘賞候補に入ったが、同じく初三賞を窺っていた照ノ富士に受賞を許してしまった。〔【初場所】三賞選考、異例の“取り直し”該当者なしの危機で 2015年1月26日6時0分 スポーツ報知〕〔照ノ富士が敢闘賞受賞 NHK 1月25日 17時12分〕翌3月場所で新三役となり、小結に昇進した。モンゴル出身の新三役は、2014年11月場所の逸ノ城以来。初土俵から所要66場所での新三役は外国出身力士の中でも1位のスロー記録である。〔“外国出身で最も遅い新三役”玉鷲「横綱、大関倒す」 SANSPO.COM 2015.2.23 19:54〕昇進を記念した記者会見が2015年2月23日に大阪市平野区で行われた際には3月場所の番付表を見て「名前が大きくなったな」としみじみと喜びつつもノ富士や逸ノ城ら出世スピードが速いモンゴルの後輩に対抗意識を燃やしていた。〔玉鷲、後輩に負けたくない=大相撲新番付 時事通信 2015/02/23-18:36〕会見ではまた自身の付け人だった同じ一門の輝大士が十両で活躍する姿に刺激されたそうで「一緒によく稽古したりして負けてられないと思った」と三役に昇進できた要因を説明した。〔しかしこの場所は4勝11敗の大敗に終わる。翌5月場所は西前頭5枚目の地位で土俵に上がり、この場所でも6勝9敗と負け越すが9日目の日馬富士戦では外国出身力士としてスロー記録1位となる30歳6ヶ月での金星を獲得した。玉鷲は金星獲得に対して「普通の顔をしたいけど笑顔が出ちゃうな。こんな感覚なんだ」とコメントしていた。〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「玉鷲一朗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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