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王 世杰(おう せいけつ)は、中華民国(台湾)の政治家・法学者。日中戦争(抗日戦争)に際しては中国国民党の抗日宣伝に従事し、国共内戦期に国民政府の外交部長をつとめた人物である。また、教育・文化振興においても重要な役割を果たした。字は雪艇。 == 事績 == === 民国初期の活動 === 清末は南路高等小学、湖北優級師範を経て省立天津北洋大学に入学した。武昌起義が勃発すると、武昌に戻り、革命派の都督府秘書に任ぜられている。1913年(民国2年)、イギリスに留学し、ロンドン大学政治経済学院(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)に入学した。1917年(民国6年)、卒業して政治経済学士の学位を取得している。続いてフランスへ赴いてパリ大学に入学し、1920年(民国9年)に法学博士の学位を取得した。帰国後は国立北京大学で教官をつとめ、その傍ら、週刊誌『現代評論』を創刊した。〔徐主編(2007)、79頁。〕〔劉国銘主編(2005)、143頁。〕 1927年(民国16年)6月、国民政府法制局局長に任命される。同年12月には、湖北省政府委員兼教育庁庁長に転じた。翌年10月、デン・ハーグで常設仲裁裁判所仲裁人に任命される。11月、立法院立法委員に任ぜられた。1929年(民国18年)3月、国立武漢大学校長となる。1931年(民国20年)12月、中国国民党第4期候補中央監察委員に選出された。〔〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王世杰」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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