|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 王 : [おう] 1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) ・ 世 : [よ, せい] 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation ・ 積 : [せき] 【名詞】 1. (gen) (math) product
王世積(おうせいせき、生年不詳 - 599年)は、中国の隋の軍人。本貫は闡熙郡新囶県。 ==経歴== 北周の使持節・開府儀同三司の王雅の子として生まれた。世積は容貌魁偉で、腰帯は10囲(5尺)におよび、風体は傑出していた。北周に仕えて軍功を挙げ、上儀同の位を受け、長子県公に封ぜられた。580年、楊堅が丞相となり、尉遅迥が乱を起こすと、世積は韋孝寛の下で乱を討ち、功績により上大将軍の位を受けた。 581年、隋が建国されると、世積は宜陽郡公に進んだ。高熲に才能を見出されて、親しく交際した。蘄州総管に任ぜられた。南朝陳に対する征戦において、世積は水軍を率いて蘄水から九江におもむき、陳の将軍の紀瑱と蘄口で戦って撃破した。晋王楊広が丹陽を平定した後、世積は千金公権始璋を派遣して新蔡を取らせた。陳の江州司馬の黄偲が城を棄てて逃亡すると、権始璋はその城に入り、世積は後に続いた。陳の豫章太守徐璒・廬陵太守蕭廉・潯陽太守陸仲容・巴山太守王誦・太原太守馬頲・斉昌太守黄正始・安成太守任瓘らや、鄱陽・臨川の守将らは、そろって世積に降った。功績により位は柱国・荊州総管に進んだ。597年、桂州の李光仕が乱を起こすと、世積は行軍総管として乱を平定した。凱旋すると、位は上柱国に進んだ。 598年、高句麗遠征の軍が起こされると、世積は漢王楊諒とともに行軍元帥となり、柳城に到着したが、疫病にかかって帰還した。涼州総管に任ぜられた。皇甫孝諧が罪に落ちたとき、世積はかばおうとしなかったため、恨みを受けた。599年、皇甫孝諧は世積が叛乱を企んでいると告発し、それが認められて、世積は処刑された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王世積」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|