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王 九齢(おう きゅうれい)は、中華民国の政治家。雲南派に属する。字は竹村、夢菊。 == 事績 == 清末に日本に留学し、法政大学を卒業した。このときに雲南留日学生総監を務め、また、中国同盟会に加入している。1911年(宣統3年)9月末に、蔡鍔・唐継尭らによる昆明重九起義(雲南辛亥革命)に参加した。雲南軍政府が成立した後には、民事を担当した。1913年(民国2年)、王は雲南督軍署秘書に任命された。これ以後、唐継尭の配下となる。護法運動が開始されると、靖国聯軍総司令部軍法処長に任じられた。1921年(民国10年)、雲南陸軍軍法科科長となり、1923年(民国12年)、雲南財政司司長に昇進した。〔徐主編(2007)、60頁。〕〔『雲南辞典』(1993)、618頁。〕 1924年(民国11月)、段祺瑞が臨時執政として復権したことを受けて、王九齢は北京に赴く。そこで教育総長に任命される予定であったが、実際には就任できなかった。結局、王は雲南に戻り、省政務委員兼塩運使に任じられた。これら以外にも、富滇銀行行長、東陸大学名誉校長なども歴任している。〔〔 1927年(民国16年)2月、唐継尭が、部下の竜雲ら4鎮守使の兵変により失脚してしまう。唐の腹心であった王九齢もまた下野し、政界から事実上引退した。日中戦争(抗日戦争)期間中には、雲南省参議会議員に選出されている。中華人民共和国が成立した後も、王九齢は雲南に留まった。雲南省政治協商会議委員、雲南省仏教協会会長などをつとめている。1951年、死去。享年73。〔〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王九齢」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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