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王允 : ミニ英和和英辞書
王允[おう いん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 
: [いん]
 【名詞】 1. sincerity 2. permit

王允 : ウィキペディア日本語版
王允[おう いん]

王 允(おう いん、137年 - 192年)は、中国後漢末期の政治家。子師并州太原郡祁県(現・山西省晋中市太谷県)の人。呂布と共謀して董卓を殺害したが、その部下に逆襲されて殺害された。兄は王宏〔字は長文。弟の王允・宋翼とともに殺害されている(『後漢書郭泰伝注が引く謝承の『後漢書』、『後漢書』王允伝による。ただし王先謙『後漢書集解』注釈では''汪文台曰「郭泰伝注謝承書云、太原王長文弟子師位至司徒」則宏乃允之兄也。''とある)。〕。子は王蓋・王景・王定(王宗〔『後漢書』王允伝〕)。甥は王晨・王凌
==略歴==

===前歴===
若い頃、名儒として名を馳せていた郭泰から「王允は一日に千里を走り、王佐の才(王を佐(たす)ける才。主君に仕えてその人を偉大足らしめる才能)である。」と評されていた。
19歳にしての役人となった。当地では、趙津という者が悪行を繰り返し問題となっていたが、王允はこれを捕らえて処刑した。このため趙津の兄弟が怒り、中央の宦官に賄賂を送り王允への復讐を行おうとした。宦官が桓帝に事実を捻じ曲げて報告したため、桓帝は王允の上司であった太守を投獄し処刑した。王允は太守の棺を持って太守の故郷の平原山東省徳州市平原県)まで持ち帰り、自分の親が死んだ場合と同じだけの3年間を喪に服し、喪が明けると復職した。
新しい太守の王球が、大して能力も名声も無い者を登用したのでこれを諫めた。すると王球はこれを不快に思い、王允を投獄して殺そうとした。それを聞いた刺史の鄧盛は、王允を救い出して自分の部下にしたという。このことで王允の名声は一躍高まった。
184年黄巾の乱に際しては豫州刺史となり、荀爽孔融らを幕僚に迎え黄巾軍を撃破した。乱終結後、王允は十常侍張譲が黄巾軍と繋がっていたことを告訴したが、張譲が謝ったことで霊帝がこれを許してしまったため、張譲からの逆恨みで投獄されてしまった。死刑に処されるところであったが、多数の助命嘆願により命を救われた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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