|
【名詞】 1. royalists 2. royalist faction =========================== ・ 王 : [おう] 1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) ・ 王党 : [おうとう] 【名詞】 1. royalists 2. monarchists ・ 王党派 : [おうとうは] 【名詞】 1. royalists 2. royalist faction ・ 党 : [とう] 1. (n,n-suf) (1) party (political) 2. (2) faction 3. -ite ・ 党派 : [とうは] 【名詞】 1. faction ・ 派 : [は] 1. (n,n-suf) clique 2. faction 3. school
王党派(おうとうは、)は、王制を支持する政治党派である。フランスのように王制支持派と帝政支持派が対立するケースもあり狭義にはあくまで王制のみの支持派を意味するが、広義には帝政支持派も王党派と呼ぶこともある。共和派とは当然対立する。また国王親政を支持する勢力のみを指し、議院内閣制を前提とする立憲君主制の支持勢力を含まない場合もある。 市民革命においては国民主権を主張する共和派と対立し、国王および王権(国王主権)を支持する勢力であるが、必ずしも貴族が王党派というわけではなく〔絶対王政下においては、国王は貴族勢力の力を抑えることに腐心したので、王権と敵対したのは貴族勢力であった〕、保守的なブルジョワジー、市民や農民も、王党派の支持基盤であった。現在でもフランス、イタリア、ドイツ、オーストリアなどで王政(帝政)復古を目指す王党派が少数活動している。 == 各国の王党派 == === フランス === フランス革命期においては、プロヴァンス伯(ルイ18世)とアルトワ伯(シャルル10世)ら王族、あるいは絶対王政期のアンシャン・レジームの貴族、聖職者(僧侶)を言う。彼らは、フランス王国などの王政国家を維持する勢力であった。 近い考えを持つ集団として、王政は認めるものの、これを議会のコントロール下に置こうとする立憲君主主義者(いわゆるフイヤン派)が存在し、区別される。しかしジロンド派やジャコバン派などの共和派が絶対的な指導権を握った革命期においては、両者は共に攻撃の対象とされ、ほとんど区別されずに王党派という枠にくくられた。特に革命期のパリでは、王党派であることが発覚しただけでテロの対象になることも珍しくなかった。 一方、革命期でも地方では、革命政権の中心地パリほど国王憎しの感情は高まりを見せず、農民の間で急進的な国王不要論が急増することはなかった。ヴァンデの反乱のように、徴兵制反対や信仰の自由を求めた農民反乱に地方貴族が合流して王党派の反乱としての性格を見せるケースもあり、フランス全土の規模で見れば王党派は致命的に勢力を失ったわけではなかったともいえる。 フランス革命以後、主にナポレオン・ボナパルト失脚後に生まれたブルボン家支持者をレジティミストと言う。復興王政で反動政治を進めた王党派は、一般に〔(Ultra-royalist)〕と呼ばれる。またフランス7月革命で成立したルイ・フィリップ統治のオルレアン朝支持者をオルレアニストと言う。いずれも広義には王党派の範疇に入ると言えるが、ルイ=ナポレオン(後のフランス皇帝ナポレオン3世)支持者のボナパルティストと激しく対立した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王党派」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|