翻訳と辞書
Words near each other
・ 王凡
・ 王凱泰
・ 王凱駿
・ 王制
・ 王制ローマ
・ 王制不要論
・ 王制廃止論
・ 王制復古
・ 王則
・ 王則 (宋)
王則貞
・ 王剛
・ 王剛 (サッカー選手)
・ 王力
・ 王力 (言語学者)
・ 王力宏
・ 王力雄
・ 王励勤
・ 王勃
・ 王勇


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

王則貞 : ミニ英和和英辞書
王則貞[おう そくてい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

王則貞 : ウィキペディア日本語版
王則貞[おう そくてい]
王 則貞(おう そくてい)は、11世紀日本の商人。
== 概要 ==
史料は少なく詳細は明らかではないが、国際的に名の知れた商人であった。大宰府観世音寺重文十一面観音立像(1069年作)の墨書銘文に「府老」とある中国系住人、王則宗の一族と考えられている。
高麗史』によれば1073年金州に置かれた対外部署、東南海都部署より「日本国人の王則貞・松永年らが来り各種財物を進上し、更に壱岐の長官が藤井安国らを遣わし、王子、貴族に方物を献上する」という報告があり、開城への来訪を許可したとある。
朝野群載』によれば1079年高麗文宗大宰府に書状を送り日本の良医の来訪を求め、翌年朝廷から断りの返牒が出された、いわゆる「医師招請事件(請医一件)」が起こった。この高麗の書状には、「商客王則貞に預けて日本に届けさせる」と記述されている。
同時代に書かれた帥記や、後代の師守記に引用された記録からは、1080年に王則貞への処罰命令が出されている。罪状の名目としては、私人として渡航したにもかかわらず公人(公使)であるかのように帰国したからということと考えられている。
博多には11世紀から出身の商人が定住、帰化し、各国との交易を担った。これらのうちの一人と考えられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「王則貞」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.