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王 含(おう がん、? - 324年)は、中国西晋・東晋の軍人。字は処弘。 父は王基。王導の従兄。王敦の実兄。王瑜〔『世説新語』人名譜より。〕・王應の父。王應は後に伯父の王敦の後継者となった。 == 生涯 == 琅邪郡臨沂の出身。凶暴で非行が多かったと伝わる。王敦の出世に伴って出世し、荊州刺史・征東大将軍・都督揚州江西諸軍事になる。322年に王敦が東晋に対して反乱を起こすと同調し、驃騎大将軍・開府儀同三司となった。 324年、明帝が王敦を討伐するべく兵を出した。この際、王敦は重病に倒れていたため、代理として王含が元帥となり、7月に5万の軍勢を率いて首都建康に迫った〔駒田『新十八史略4』、P90〕。しかし明帝は自ら諸軍を率いて親征し、1000人の兵を王含軍の陣に夜襲したため、王含は敗北した〔。 この時、王敦は敗報を聞いて「兄は老いぼれ下女のように役立たずだ」と憤慨して自ら陣頭に立とうとしたが、間もなく失意の内に死んだ〔。 このため王含は陣営を焼いて夜中に逃走。荊州の王舒の下に走ったが、長江に沈められて溺死した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王含」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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