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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 王 : [おう] 1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi)
王国維(おう こくい)は清末民初の学者。研究領域は文学・美学・史学・哲学・考古学に及び、「新学術」の開拓者とされる。亀甲獣骨文字の研究では羅振玉・董作賓・郭沫若とともに「甲骨四堂」と称される。字は静安または伯隅、号は観堂。 == 生涯 == 1882年から私塾で学び、1893年に秀才となる。1899年、上海の「時務報」に勤務し、羅振玉の東文学社で外国語と化学・物理学を学び、西洋の学問に触れるようになった。1901年、日本の東京物理学校(東京理科大学の前身)に留学したが、病のため翌年に帰国した。1903年から通州師範学堂と江蘇師範学堂で哲学・心理学などを講義するようになり、『紅楼夢評論』などの哲学・美学論文を多数発表した。これらは1905年に『静庵文集』として出版された。1907年、北京に行き学部図書館編訳・名詞館協修に任命された。この間に『人間詞話』『宋元戯曲考』を著している。1911年、辛亥革命がおこると日本に逃れた。 1916年、帰国して上海の倉聖明智大学の教授となり、『浙江通志』の編纂にも参加している。1917年には『殷周制度論』を著した。1923年、愛新覚羅溥儀に招かれ「南書房行走」に就任した。1925年、清華大学国学研究院教授となり、経学・史学を講義し、漢や魏の石刻文や古代の西北地理やモンゴル史料を研究した。梁啓超・陳寅恪・趙元任とともに清華大学の「四大導師」と称された。 1927年、頤和園の昆明池で入水自殺。理由についてはさまざまな説がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王国維」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Wang Guowei 」があります。 スポンサード リンク
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