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王 大楨(おう だいてい/おう たいてい)は、中華民国の外交官・政治家・歴史学者。字は芃生。〔東亜問題調査会編(1941)、18頁によると、満州国に同姓同名の別人が現れたために、その頃から名を捨て、字を公に使用するようになったという。なお徐主編(2007)、87頁は、「王芃生」の項目を使用している〕。号は曰叟。日本留学経験を持つ外交専門家として、特に国民政府期の活動が顕著な人物である。 == 事績 == === 辛亥革命から北伐直前まで === 高等小学磁業学堂を経て、陸軍小学に入学する。1909年(宣統元年)秋、中国同盟会に加入した。1911年(宣統3年)9月、武漢陸軍学校に進学する。翌月、武昌起義(辛亥革命)が勃発すると、黄興配下の革命派として戦う。1912年(民国元年)2月、南京に赴き、軍需学校に入学する。その後、いったん湖南に戻り、湘軍(湖南軍)の程潜配下となった。〔徐主編(2007)、87頁。〕〔劉国銘主編(2005)、119頁。〕〔東亜問題調査会編(1941)、18頁。〕 1916年(民国5年)、王大楨は日本に留学し、陸軍経理学校高等科で学んでいる。1918年(民国7年)、シベリア出兵に際して、王もこれに随従してシベリアと外モンゴルの現地調査を行った。翌年、東京帝国大学経済学部に入学、学習している。1921年(民国10年)、アメリカに赴き、ワシントン会議中国代表団咨議をつとめる。翌年帰国し、山東問題交渉(「魯案」)の担当者の1人となった。1924年(民国13年)初めに山東省統計講習所所長に任ぜられ、翌年、再び日本へ視察に赴いている。〔〔〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王大テイ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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