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王師会(おうしかい)とは、日本海軍の青年将校で構成された日本海軍初の革命行動組織〔『昭和史の軍人たち』「藤井斉」〕である。組織活動はほとんど行っていないが、指導者の藤井斉を中心に同志的結合を保ち、会員9名が五・一五事件を起こした。 ==誕生から拡大== 藤井斉を中心として、1928年(昭和3年)3月に結成された。藤井は前年に西田税を中心として陸軍関係者が組織した国家改造を目的とする秘密結社「天剣党」の結成に参加したただ一人の海軍軍人〔『昭和史を縦走する』「艦隊派と条約派」〕であった。藤井は陸軍とは独立した海軍側同志の組織化を図り、10名前後の同志で王師会を発足させた。会員はほとんどが海兵50期代の将校である。彼らは日露戦争後に誕生した世代で、当時の最難関校のひとつ〔例えば海兵58期は130余名の同期生(卒業は113名)中60名以上が中学の首席(奥宮正武『さらば海軍航空隊』p.44 ISBN 4257170182)であり、また海兵に合格するためには、体格や視力の検査に合格する必要があった。なお藤井の海兵53期は募集人員が50名である。〕である海軍兵学校でエリート教育を受けた。しかし卒業後の社会はワシントン海軍軍縮条約によりもたらされた建艦休暇期(ネイバルホリデー)の時期で、軍人は無用の長物視された〔『日本の海軍』pp.134-135〕。彼らは財閥や政治家は己の利益のみを追及し、政争に明け暮れ、疲弊した農村や国防を顧みないとして国家の改革を考えるに至ったが、その背景にはエリート意識と実社会からの評価のギャップもあったとされる。こうした中北一輝の著した『日本改造法案大綱』は青年将校に大きな影響を与え天剣党、王師会の結成にいたる。社会主義への反感、1929年(昭和4年)の世界恐慌による社会の混乱、1930年(昭和5年)のロンドン海軍軍縮条約の批准は同調者を広げ、会員は40名以上に達した。なお、五・一五事件時の人事局第一課長であった清水光美によれば、事件に関係した海軍軍人は約150名である〔『海軍の昭和史』p.63〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王師会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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