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王 延羲(おう えんぎ)は、十国閩の第5代王(皇帝)。太祖王審知の七男。廟号は景宗。 == 生涯 == 甥の康宗の在位中には左僕射、同平章事に任じられるが、康宗は猜忌心が強かったために身の危険を感じ、発狂者を装い自宅に軟禁されていた。通文4年(939年)、拱宸・控鶴軍使の朱文進、連重遇が叛乱を起こし王延羲を推戴し康宗を殺害したことにより、王延羲は威武節度使、閩国王を称し、王曦と改名、永隆と改元した。即位した景宗は後晋に奉表している。 景宗は贅沢奢侈、荒淫無度の生活を送り宗族に対する猜疑心を強めていった。弟の建州刺史王延政はその所業を諌めたが、これを契機に両者の対立が深まり、永隆2年(940年)、景宗は建州攻撃を開始しでの内戦が発生した。内戦は数年間にわたり継続するが決着が付かず、翌年景宗は大閩皇帝、威武節度使を自称するようになった。 景宗の暴虐さは一向に改まるところがなく、永隆6年(944年)、自らの身に危険が及ぶことを恐れた朱文進、連重遇によって殺害された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王延羲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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