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王 式通(おう しきつう)は清末民初の政治家・学者。北京政府に属し、司法行政・学芸行政の分野で主に活動した。字は書衡。号は志盦。祖籍は浙江省紹興府紹興県。子は、北京政府、中華民国臨時政府、南京国民政府(汪兆銘政権)の政治家である王蔭泰。 == 事績 == 1898年(光緒24年)、戊戌科進士となる。京師通芸学堂を卒業し、北洋編書局、大学堂、学務処、法律学堂で各職を歴任した。1906年(光緒32年)、日本に教育の視察に赴く。帰国後は内閣中書、刑部山東主事、安徽司員外郎、大理院推事・御史、大理院少卿などを歴任した。〔徐主編(2007)、87頁。〕 中華民国成立後の1912年(民国元年)7月、王式通は、北京政府の司法部次長代理となる。さらに陸徴祥内閣で司法総長王寵恵が中途で辞任したため、王式通が総長を暫時代理した。まもなく王式通は総統府法制秘書に転じた。さらに、約法会議秘書長、政治会議秘書長、総統府内史、政事堂機要局長など、事務方の要職を歴任している。〔 1916年(民国5年)5月、王式通は段祺瑞内閣で国務院秘書長となる。翌月、国務院参議に異動した。1917年(民国6年)9月から1920年(民国9年)9月まで、全国水利局副総裁をつとめている。その後は、清史館纂修、故宮博物院管理委員会副委員長、東方文化事業総委員会委員などになる。〔王は、当時における史学・地誌の第一人者としても知られた。〔東亜問題調査会編(1941)、9頁。〕1930年(民国19年)10月3日、北平で病没。享年67。〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王式通」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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