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王 懐慶(おう かいけい)は清末民初の軍人。清朝では北洋系、中華民国では北京政府、直隷派に属した。字は懋宣または懋軒。 == 事績 == === 袁世凱配下としての台頭 === 最初は牧童であったが、〔徐主編(2007)、190頁。〕後に天津武備学堂第2期を卒業する。〔来ほか(2000)、1100頁。〕〔外務省情報部編(1928)、395頁。〕1892年(光緒22年)より聶士成の下に配属され、哨官となった。1900年(光緒26年)7月、義和団の乱で聶が戦死した際に、王懐慶は危険を冒して聶の遺体を回収し、霊柩に納めて聶の故郷である安徽省に送り届けた。この行動を袁世凱に評価され、その部下として登用されている。〔 1905年(光緒31年)、北洋常備軍騎兵第2協協統となる。1907年(光緒33年)、東三省督署軍務処会弁兼奉天中路統領に任命された。1909年(宣統元年)には、淮軍統領となり、さらに通永鎮総兵に異動した。〔〔1911年(宣統3年)、新軍第20鎮の王金銘・施従雲らが灤州起義を起こすと、王懐慶はこれに参加しながらも中途で清軍に寝返っている。〔 1912年(民国元年)1月、王懐慶は灤州都督に推挙された。同年3月には、天津鎮総兵兼密雲鎮守使、6月には薊渝鎮守使、多倫鎮守使をつとめた。1914年(民国3年)9月、冀南鎮守使となる。1915年(民国4年)5月、管外火器営事務と清理京城官戸処督弁も兼任した。〔〔同年12月、皇帝に即位した袁世凱から二等男に封じられている。〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王懐慶」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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