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王 承斌(おう しょうひん)は、清末民初の軍人。北洋系の軍人で、北京政府、直隷派に属した。字は孝伯。満州族。なお、民国の政治家呉景濂は表兄(従兄)、漫画家で中国語圏で広く読まれているの作者・王澤は息子にあたる。 == 事績 == === 曹錕の下での台頭 === 当初は学問を志し、1902年(光緒28年)に京師優等師範学堂に入学した。しかし1905年(光緒31年)に軍人の道に転じ、保定北洋速成武備学堂に入学した。1907年(光緒33年)に卒業した後、保定軍官学堂に入学した。1909年(宣統元年)に卒業している。〔以上は、邵( 2005)、453頁による。一方、徐主編(2007)、124頁によれば、速成武備学堂卒業後に陸軍大学に入学し、1908年に陸軍大学正則班第2期を卒業した、としている。〕その後、王は新軍に入隊して、長春に赴任している。ここで、曹錕率いる第3鎮の三等参謀官に任命された。〔邵(2005)、453頁。〕〔徐主編(2007)、124頁。〕 1911年(宣統3年)10月、辛亥革命が発生すると、曹錕率いる第3鎮は山西省へ革命派討伐に向かう。1912年(民国元年)1月、第3鎮が北京に引き返した時点で、王は、清朝復辟を目指す宗社党に加わった。このため、同僚の呉佩孚が曹に対して王を罷免するよう要求したが、曹はこれを拒否した。この一件により、呉と王は敵対関係となる。同年8月、王は、第3師第6旅第11団団長に就任し、陸軍少将となった。1913年(民国2年)秋、二次革命(第二革命)鎮圧後に、王承斌は曹錕率いる第3師に随従して湖南省に入り、岳州に駐屯している。1915年(民国4年)の護国戦争(第三革命)でも、第3鎮に随従して四川省へ遠征した。翌1916年(民国5年)1月、第3師補充旅旅長に昇進した。〔邵(2005)、453-454頁。〕〔 同年6月に袁世凱が死去すると、第3師は北方へ引き返して保定に駐屯する。1917年(民国6年)5月、王承斌は直隷第1混成旅旅長に昇進し、陸軍中将銜を授与された。同年7月の張勲復辟の際には、王の部隊は西路討逆軍となり、呉佩孚指揮下で張を撃破した。翌年2月、曹錕に随従して南方政府討伐のために湖南省へ出征した。しかし曹の軍では呉が和平を主張するなど士気が上がらず、王も病気を口実に軍事行動を停滞させた。〔邵(2005)、454頁。〕〔6月、王は陸軍中将に昇進している。〔徐主編(2007)、124頁によれば、陸軍中将銜を授与されたのは、1916年1月の第3師補充旅旅長就任時であり、陸軍中将位を授与されたのは、1917年5月の第1混成旅旅長就任時としている。本記事は邵(2007)、454頁によった。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王承斌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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