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王 文豹(おう ぶんひょう)は、中華民国の政治家。字は紹荃。 == 事跡 == 清の附生(府・州・県で採用された生員)。1902年(光緒28年)、日本に留学し、東京帝国大学で治安警察法を専攻する。その後、巡査教習所を経て警視庁で警察法を学んだ。1905年(光緒31年)に帰国すると、湖南省警察庁上席顧問兼巡警教習所教官となる。翌年、北京に移り、北京外城巡警総庁検事・外城分庁知事に任ぜられ、以後、行政局長、衛生局長も歴任した。〔外務省情報部編(1928)、424頁と''Who's Who in China 3rd ed.'', pp.836-837.による。徐主編(2007)、74頁によると、京師警察庁処長、内務部検事、京師市政公所捐務主任を歴任した、とする。〕 中華民国成立後の1912年(民国元年)、警察庁課長に任ぜられる。翌年、禁煙局参事となり、さらに京畿税務局長も兼任した。その後、司法部秘書長に転じ、1914年(民国3年)7月に司法部監獄司司長に任命された。なお北京政府が崩壊する1928年(民国17年)6月まで、そのほとんどの期間において、王文豹はこの地位にあり続けた。〔徐主編(2007)、74頁。〕〔外務省情報部編(1928)、424頁。〕〔''Who's Who in China 3rd ed.'', p.837.〕 監獄司司長を務めつつ、1924年(民国13年)11月に王文豹は署理司法部次長を兼任する。1926年(民国15年)4月、賈徳耀内閣で盧信の後任として代理司法総長となり、胡惟徳臨時内閣を経た同年5月まで務める。その後、燕京大学講師に転じたが、1927年(民国16年)7月に監獄司司長に再任され、北京政府崩壊まで務めた。その他、民国学院法律系主任、北平大学法学院法律系講師も務めている。王文豹の没年は不明である。〔〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王文豹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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