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王 景岐(おう けいき)は中華民国の外交官・政治家・学者。1940年代までの中華民国において各国公使をつとめ、また外交官の中では比較的早期から中国国民党に属していた人物である。字は石孫。号は流星。 == 事績 == === 外交官へ === 初めは武昌方言学堂法文(フランス語)班で学ぶ。1900年(光緒26年)、フランスへ政治学を学ぶために留学した。1903年(光緒29年)帰国し、京漢鉄路で秘書をつとめる。1908年(光緒34年)、再びフランスに留学してパリ政治学院に入学するとともに、駐フランス公使館で翻訳(通訳)をつとめた。1910年、パリ政治学院を卒業し、イギリスのオックスフォード大学で国際法を専攻している。〔徐主編(2007)、153頁。〕〔劉主編(2005)、231頁。〕〔東亜問題調査会編(1941)、11頁。〕 中華民国成立後の1912年(民国元年)に帰国し、北京政府の農林部編纂となる。1914年(民国3年)に、外交部主事、憲法研究会調査員、外交部検事を歴任した。同年4月、華洋訴訟会委員・同会秘書処秘書を兼任する。翌年6月、外交部参事となった。同年9月、キャフタで開催された中国・ロシア・モンゴルによる3か国会議で、中国側参賛をつとめている。1916年(民国5年)、北京大学法科講師も兼務した。1917年(民国6年)、駐イタリア公使館二等秘書となる。翌年12月、フランスで開催されたパリ講和会議で中国代表団の参事をつとめた。1920年(民国9年)1月、帰国し、外交部和約研究会会員と司法部法権討論会会員を兼務している。同年、中独通商条約締結委員をつとめた。〔〔〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王景岐」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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