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王 東原(おう とうげん、)は、中華民国(台湾)の軍人・外交官。国民革命軍の軍人で、主として日中戦争期に軍事教育分野で活動した。三民主義青年団の有力幹部でもある。名は修墉だが、字の東原で知られる。祖籍は安徽省徽州府。 == 事績 == === 国民革命軍での台頭 === 1917年(民国6年)、国立北京高等師範学校に入学したが、翌年、保定陸軍軍官学校に転入し第8期工兵科で学んだ。1922年(民国11年)、卒業し、河南省に駐屯していた岳維峻率いる国民軍第2軍で上尉参謀に任ぜられている。翌年夏、王は湖南省に移り、湘軍(湖南軍)第1師独立第10団上尉教官となった。その後順調に昇進し、1926年(民国15年)夏には湘軍第39団団長代理として北伐に従軍している。〔胡・浩(1999)、44-47頁。〕〔徐主編(2007)、109頁。〕〔劉国銘主編(2005)、146頁。〕 1927年(民国16年)、王東原は国民革命軍第35軍教導団団長となり、同年5月には中国国民党湖南救党(清党)委員会委員を兼任した。1928年(民国17年)、第35軍教導団は教導師に拡充され、王が引き続き師長を務めた。北伐完了後、軍縮に伴い教導師は解散され、王は考察団団長として全国各軍の状況を視察した。〔胡・浩(1999)、47-51頁。〕〔〔 1929年(民国17年)4月、陸軍新編第7師第3旅旅長に任命され、翌年1月には新編第7師が第15師に改組されて王東原率いる第3旅も第45旅となった。同年9月、第15師副師長に昇進、湖南省会警備司令を兼任したが、まもなく湘南警備司令に転じている。1931年(民国20年)、〔徐主編(2007)、109頁による。劉国銘主編(2005)、146頁は、1933年6月としている。〕陸軍第15師師長に昇進、以後、中国共産党(紅軍)包囲掃討作戦に参加した。1937年(民国26年)夏には廬山訓練団第一中隊長、大隊長を歴任している。〔胡・浩(1999)、51-55頁。〕〔〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王東原」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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