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王 樹翰(おう じゅかん)は中華民国の政治家。奉天派の政治家で、易幟後に張学良の腹心をつとめた人物である。字は維宙、惕庵。 == 事績 == === 北京政府期の活動 === 北京学治館で学び、卒業後は奉天省に戻り、清理財政局科員、度支司科長、軍械製造廠長、被服廠副廠長を歴任した。中華民国が成立した1912年(民国元年)、奉天都督府秘書に任ぜられる。翌年1月、奉天省南路観察使となった。1914年(民国3年)2月、奉天営口交渉員を兼ね、3月、遼瀋道道尹となる。1915年(民国4年)3月、署理吉林濱江道道尹に転じ、翌年4月、奉天巡按使代理に昇進した。5月、奉天省財政庁庁長となり、翌1917年(民国6年)9月までつとめる。〔徐主編(2007)、178頁。〕〔劉主編(2005)、202頁。〕〔東亜問題調査会編(1941)、14頁。〕 同年12月、黒竜江省に異動し、竜江道道尹となる。1919年(民国8年)7月、黒竜江督軍が鮑貴卿から孫烈臣に交代するまでの暫時ではあるが、督軍兼省長護理をつとめた。1920年(民国9年)、黒竜江省財政庁長に起用される。1921年5月、吉林督軍に異動した孫に随従して、王も吉林に異動し、財政庁長となる。7月、吉林政務庁長兼官銀号監理に任ぜられた。翌年11月、吉林督軍署秘書長となり、1924年(民国13年)、吉林省省長に昇進している。翌年2月、張作霖により、東三省特別区行政長官代理に抜擢された。〔〔〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王樹翰」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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