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王立園芸協会 (おうりつえんげいきょうかい、Royal Horticultural Society、略称RHS)は、1804年にイギリス、ロンドンにおいて設立されたロンドン園芸協会(Horticultural Society of London)を前身とする学会。イギリスのみならずヨーロッパにおいてガーデニング・園芸の奨励を目的とする慈善団体である。一連のフラワー・ショーの開催、多くのモデル・ガーデンの一般公開を通じて活動を行っている。 1861年、王配アルバート・オブ・サクス=コバーグ=ゴータによって王室勅許を授けられたことから現在の名称となった。協会は2004年に創立200周年を迎えた。 ==王立園芸協会の歴史== ===創設者=== イギリスの園芸協会創設は、1800年にジョン・ウェッジウッド(ジョサイア・ウェッジウッドの子、チャールズ・ダーウィンの叔父)によって勧められた。彼の目的は公平でつつましいものだった。彼は協会員の園芸活動とその発見に関する報告の発表の機会を彼らに与え、協会員に議論を促すため定期的な会議を開いて、成果を公にしたかったのである。協会はガーデニング業績に対して賞も授与した。 彼は友人と構想を話し合ったが、7人の会員で初の会議が開催されたのは4年後の1804年3月7日、ピカデリーのハトチャーズ書店においてであった。ウェッジウッドが座長を務めた。出席したのはウィリアム・タウンゼント・エイトン(父ウィリアム・エイトンと同様にキュー・ガーデンズの監督を務めた)、ジョセフ・バンクス(王立協会総裁)、育苗家ジェームズ・ディクソン、ウィリアム・フォーサイス(セント・ジェームズ宮殿とケンジントン宮殿の各庭園の監督)、チャールズ・フランシス・グレヴィル(海軍卿)、リチャード・アントニー・ソールズベリ(新たな協会の参事となった)であった。 バンクスは、親しい友人のトーマス・アンドルー・ナイトに会員となるよう誘った。フォーサイスが開発した、傷ついた樹木のための膏薬についてナイトと確執が進行中であるにもかかわらず、申し出は受け入れられた。ナイトは1811年から1838年まで協会の総裁を務め、果樹栽培の実用的なプログラムを含む目的と、協会の志を発展させた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王立園芸協会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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