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王立絵画彫刻アカデミー(おうりつかいがちょうこくアカデミー、Académie Royale de Peinture et de Sculpture)は絵画・彫刻の振興を目的として、1648年にフランスで設立された組織。以後150年間にわたって存続し、芸術家の教育方法の開発や展覧会の開催など、美術史上、大きな役割を果たした。また歴史画を頂点とする古くからの絵画観を強化し、西洋絵画の制度化を推し進めた〔N. ペヴスナー『美術アカデミーの歴史』中森宗義ほか訳、中央大学出版部、1974年〕。 == 前史 == 17世紀のフランスで芸術家が活動するには二つの道があった。一つは同業者団体(ギルド)である画家・彫刻家組合へ所属すること、もう一つは王室や有力者と関係を結んで勅許状を得ることだった〔大野芳材「美術アカデミー」(『世界美術大全集:西洋編 第17巻〈バロック:2〉』小学館、1995年)〕。 画家・彫刻家組合の結成は14世紀にさかのぼり、仕事の配分や徒弟修行の管理で大きな権限を振るうようになっていた。16世紀半ばには、規則を厳格化して新参者へ門戸を閉ざす傾向が強まったため、画家や彫刻家をめざす若者は、新天地を求めてイタリアへ赴くようになった。その頃イタリアでは、徒弟修行の枠外で比較的自由に研鑽を積むことのできるアカデミア・デル・ディセーニョ(:en:Accademia delle Arti del Disegno 1563年設立)や聖ルカ・アカデミー(1577年設立)といった組織が志願者を受け入れていたためである〔 F. A. イェイツ『十六世紀フランスのアカデミー』高田勇訳、平凡社、1996〕。 17世紀に至ると勅許状を受けて活動する芸術家が増大し始めるが、画家・彫刻家組合は自らの権益を守るため、再々にわたって勅許状の発行に抗議したり、裁判に訴えるなど、勅許状を受けた画家への締め付けを強化していった。これに対して勅許状の画家たちの反発と、自分たちの利害を守る団体の設立欲求が高まってゆく〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王立絵画彫刻アカデミー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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