|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 王 : [おう] 1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi)
王紘(おう こう、生没年不詳)は、東魏から北斉にかけての軍人。字は師羅。本貫は太安郡狄那県。 == 経歴 == 王基の子として生まれた。小部酋帥となった。興和年間、高澄に召されて庫直となり、奉朝請に任じられた。高澄が殺害されたとき、王紘は白刃を振るって反乱者と戦い、その忠節により平春県男の爵位を受け、晋陽県令に任じられた。 550年(天保元年)、北斉が建国されると、寧遠将軍の位を加えられ、文宣帝の知遇を得た。560年(乾明元年)、常山王高演が丞相となると、王紘は中外府功曹参軍事に任じられた。同年(皇建元年)、爵位は義陽県子に進んだ。564年(河清三年)、諸将とともに突厥を攻撃し、驃騎大将軍の位を加えられた。565年(天統元年)、給事黄門侍郎に任じられ、射声校尉の位を加えられて、4たび散騎常侍に転じた。 570年(武平元年)、開府儀同三司となった。勇敢で弓に強い精鋭を選抜して、要地に派遣するよう上奏した。574年(武平五年)、陳軍が淮南を攻撃してくると、後主は群官に協議を命じた。封輔相が出撃を求めたが、王紘は和睦と民力休養を求め、王紘の議論に賛同する者が多数を占めた。まもなく侍中を兼ね、北周への使者に立った。帰国すると、しばらくして死去した。著に『鑑誡』24篇があった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王紘」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|