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王観(おうかん) * (?-?)中国三国時代の臣。本項で解説する。 * (1035年-1100年)北宋の詞人。字は通叟。嘉祐2年(1057年)、進士に挙げられ、極官は翰林大学士だった。全宋詞に16首が残る。 * (?-?)遼の漢人官僚。枢密副使であった咸雍7年(1071年)に、国姓を賜った。 * (?-?)明の官吏。字は尚賓。蘇州の知府として成果を上げ、「姑蘇五太守」の一人として讃えられた。 ---- 王観(おうかん、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代の魏にかけての人物。字は偉台。兗州東郡リン丘県の人。子は王悝。 朝廷の実権を握った曹操に採り立てられ、各地の地方官を務めた。魏の曹丕(文帝)の時代にも中央や地方で官職を勤め上げ、中でも鮮卑対策に功績があった。曹叡(明帝)の時代、地方官として公平な態度を貫き、病弱な子を中央に人質として送ることも厭わなかった。やがて中央に召されて裁判を担当するようになった。 曹芳(斉王)の時代になると、曹爽達が実権を握り専横を尽くしたが、王観は法を厳格に執行し、何度か彼等の横暴を掣肘した。また、曹爽達も王観の存在を憚ったという。司馬懿が曹爽をクーデターで誅殺すると、曹爽の弟が率いていた中領軍代行を任された(高平陵の変)。以後、曹髦(高貴郷侯)・曹奐(元帝)の時代、爵位を与えられ、高官に昇った。最後は司空への就任を求められたが、固辞を重ねた上で、就任して数日で官位を返上し、引退し郷里に帰った。葬儀は質素にするよう遺言し亡くなった。 子が跡を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王観」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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